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VOL.61/9,2002

INDEX
  1. 演奏会を終えて
    第十四回演奏会実行委員長
  2. LINER NOTES by Itoh Keishi
    ■演奏会について■
  3. ●REPORT●わたしのコンサート評・特別編
    「淀川混声合唱団第14回演奏会」
  4. ●REPORT●第6回世界合唱シンポジウム
    (ミネアポリス、8/3-10)に参加して

  1. ●木寺洋介の合唱連盟便り●
  2. 鷲崎 春の演奏会情報
    −心の財産を見つけてみよう−
  3. ●かわぶっちの内政だより●練習予定
  4. ●編集後記●



よどこんプラザ61月号
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定期演奏会無事終了

!!!演奏会大特集!!!
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●特 集●

演奏会を終えて

第十四回演奏会実行委員長 糠谷幸裕 

 前日の夜は、酒の力を借りて寝ようとしましたがなかなか寝つけませんでした。当日観客が溢れてしまいやしないか、やり残したことはないか、準備に抜け落ちたところはないか、そんなことで頭がいっぱいでした。私が就任して以来みなさんにも常にハラハラさせてますね。でも来年は違うかもしれませんよ。演奏会は無事満員御礼で終えましたが、演奏会マネージャーの仕事は決算書提出まで終わりません。総括して来年に何かフィードバックできるものはないか今まとめているところです。

マネージャの溜め息

 演奏会の仕事をするようになって今回が3年目で、かといってベテランに振舞えたわけでもありません。だだ、演奏会マネージャーが何をすべきなのかということをいろいろ考えさせられました。これまで引き継いだ仕事をやっつけるのではなく、問題点をさがしだしてさらに合理化できることはないかいろいろ試してはきたのですが、トドの詰まりは「演奏会とは何か」ということを考えない限り、マネージャーの仕事は不味乾燥としたたまま骨折り損に終わることでしょう。
 いつもの心境は「やれやれ。今年もやってきた・・・(タメイキ)」っていうところです。まして年中わが家はよどこんの事務所と化しており、よどこんグッズがところ狭しとおかれている中ですから、シーズンには私生活という文字はありません。しかしこれではいかんのです。

ミスターカットマン

 「演奏会」を団にとってどう位置付けるか、これをまず考えてマネージをすすめていくということがこれからは必要かもしれません。これによってまるで徒労にも見える情宣活動、ビラ配り、ビラ挟み、チケット調査も「何のためにするのか」と意味を与えることができ、全てが繋がってくることでしょう。当然、同時に意味をなさないものは、いくら慣行的に行われてきたことであっても削ぎ落としを検討する必要があるでしょう。
 確かに無理、無駄、ムラをなくそうといつも問題意識をもてば必ずベストなやりかたがみつかるだろうと思います。事実、前回も今回も、どうすればを経費を削れるか、どうやれば手間を省けるか、を常に考えて北浦さんと二人三脚でやってきました。まだ決算書はでていませんが、おそらく今回もその効果はでているはずです。しかし、何を削るかの選択、これは単に数字が大きいから・・・・といって削れるはずはありません。いずみホールの利用料が高い、客演者のギャラが目立つ、だからといって来年は止めようとは言えるでしょうか、印刷費もさることながら手間もかかるといって、毎年楽しみにしているファンまでいる演奏会パンフレットを直ちに簡素化してしまうことができるでしょうか?仮にこれらを止めたり削ったりして何か代わりに補えるものは見つかるでしょうか?・・・・・なかなかできませんよね。なぜでしょう?それは「意味」や「価値」があるからです。

赤字と粉飾はゆるさじ

 かといって毎年演奏会会計がここ数年毎年赤字で、常に団の一般会計からの補填をうけているという事実をみなさんは安易に許してはいけません。「意味」や「価値」があるから<手間や労力を惜しまない>ということと収支が赤字でもいい、ということは決してイコールではないはずです。財源は無尽蔵にあるわけではありません。ひとごとにならず誰がいったい払うんだ!と問いかけることも必要です。もちろん実際にかかっている経費をワザと未計上としてしまい、コストをブラックボックス化してしまうことは立派な粉飾です。普通の会社なら社員が横領などで経費を水増ししますが、演奏会マネージ含む団内マネージではまず考えられません。逆にマネージャーが思い入れのあまり、みんなの知らないところでコストを抱え込んでることが大半です。決して見て見ぬ振りをしてはいけません。このまま放置すればみなさんは大切な仲間をきっと近日中に失うことになるでしょう。マネージャー自身は運営にどれだけのコストがかかったか、常に冷静にディスクローズ(情報開示)する必要があるでしょう。ここまでして実際にいくらかかっているかを把握なしでは、選択も集中もありません。まして「意味」や「価値」をはることすらできません。収支の赤字は常に「あり方」を自ら問う機会なわけです。

だれでもマネージに参加できるシステム

 お金という意味での数字に現れるコストだけではなく、誰でも使えるマニュアルを整備できていないことが徒労と心労いう見えないコストにつながります。これはマネージャー自身がノウハウ蓄積や、データー分析をして、次回に活かしてこなかったことが原因です。「この時期になにをすれば?」「チラシやチケットは何枚いるか?」「チケットはいつから販売するか?」・・・・・これを去年の経験から判断すると・・・なんて言うのがいわゆるやっつけ仕事です。不安と取り越し苦労に苛まれるだけで、なんの進歩ももたらしません.だれでもマネージメントに参加できるよう、だれに成り変わっても、ことが運ぶような<システム>をつくりあげることがマネージャーとしての努めなのでしょう。個人の経験を自分の中で留めておくだけではなく、みんなの財産にする、という精神を忘れないようにしたいですね。そうできれば一箇所に仕事が集まることもないでしょうね。

やっぱり一番大事なのはコミュニケーション

 演奏会マネージだけでなく、合唱団のような任意団体は総じて、マネージメントは成り行き、内輪の寄り合い、の要素が強いでしょう。まして会社のような企業理念もないし、業務規定もない。ひとびとは出来あがった組織でつながっているわけではない。合唱経験もちがうし、年代はもちろん、音楽に対する接し方も人ざまざま。だからこそコミュニケーションが必要かもしれません。歌が好きでたまらないという理由だけでなく、「どこで歌うか」、「どんな仲間と歌うか」ということを求めて、よどこんにたどり着いたのではないでしょうか。 マネージャーの仕事はまるでお世話係そのものですが、混沌としたなかで団内に内在化して、まだ言葉になっていない「よどこんで歌う理由」の《ことば》があるはず、こんな一種のパラダイムのようなものを発見して、またみんなに伝えることが重要なのではないでしょうか。このことが「価値」や「意味」をマネージの仕事に与えることにつながることでしょう。ホントに会社組織でもないのだからなおさら一人で仕事を抱え込んだりしてはいけないのです。お互い報告や連絡をしたり説明、議論をしながらよくよくコミュニケーションとってお互いをよどこんにいる価値のもと理解できるようになれればいいですね。

演奏会っていったい何?

 最後に演奏会というのはどういう意味があるのか思いつくまま書いてみました。これで結びに代えます。

・演奏会は発表会→歌を発表する→練習した歌→みんなでつくった歌(ひとりだけではない)
・よどこんのアピールの場である→よどこん自体をアピールする→よどこんの雰囲気を知ってもらう
・女声陣の美人度?? 男声陣のかっこよさ☆ 指揮者の太り具合を確認???
・パンフレットの格調の高さ。デザインが常に斬新。これがよどこんを象徴する。
・音楽づくりに対する真摯な態度
・演奏会団員の結束を高める 士気をあげる  レベルアップ あたらしい音楽
・よどこんのイメージづくりアピール  ビラ巻き 学生団体への情宣 パンフ広告
・よどこんふぇすてぃばる よどこんの魅力を集大成

以下団員へインタビュー(平成14年9月22日奈良合宿の宴の席の酔っ払いども)
あなたにとって演奏会とは?

・たのしかった(ただそれだけ)。
・もうわすれた(K氏・・・と言いながら演奏会の音源をすでに役得で聴いているのを私は知っている)。
・幸せな時間、歌う楽しさを再確認
・あっという間のこと
・はじめての演奏会
・うたはどこでおぼえた・・・・つい替え歌をつくった。
・ステマネ万歳(K山)
・過ぎたるは及ばざるがごとし・・・・???(美○)
・また来年も会いましょう!
・ビタミンc(いつまでもとりつづけたい)???
・なま物!!
・宴 華々しい夢 感性の表現 万感の思い 人生の至福 人生の一里塚 娯楽の頂点
・魂の叫び

 世の中に大事なもの、ふつうはお金と時間とでしょう。自分もまわりも活き活きして人生の一瞬を共有できる場所、じっくり時間をかけてでもみんなでうたをつくりあげる・・・そんな場所は他にない。自分がもどってくる場所はいつでもここにある。


LINER NOTES

■演奏会について■

お疲れ様でした。演奏会どうでしたか?
やはり、素敵なホールでたくさんの仲間と共に歌を歌えるっていうことの喜びは格別ですよね。「満員のお客さんの前で仲間と一緒に歌が歌えたこと」・・・とっても嬉しかったです。
演奏については辛口、甘口いろんな声があろうかと思いますのでそれぞれ謙虚に耳を傾けてください。でも、チラシやパンフやマネジメント全てを含めて一生懸命やったことについて「あたたかい感じのする演奏会」であると言われるのは一番嬉しい感想ですね。私自身は演奏会を聞くときには、演奏自体よりも方向性や取り組みに目が行ってしまいます。そして「よどこん」においては「方向性」というものを大事に活動しているつもりですので、今回の東京客演シリーズを経たことによる有形無形の財産を糧に次の取り組みを目指したいです。
それと、「よどこん」は「いずみホールに育てられている」という気もします。
実力的にはまだまだ・・・。しかし、だからこそ何に対してでも謙虚に取り組める部分があると思います。そういった謙虚さの中に音楽と向き合う本来の姿勢があるのではないでしょうか?それを大切にしていきたいです。

次の三年間については、関西の合唱界との関係性を考えていきたいとも思っております。関西で活躍されている指揮者の方から、「よどこん」との関わりの中で“何かが生まれてきそうな”3人を選び出し、それぞれのステージを経ることによって「よどこん」にとって新しい付加価値がつくような取り組みをしてみたいと思います。これは名だたる東京の指揮者を招聘し、直接その音楽性に触れる機会を持ちたい・・・というのとは少し趣の異なる取り組みです。どちらかといえば、それぞれの先生から何かを学ぶという姿勢だけではなく、指揮者によっては“一緒に未知の課題に取り組む”という姿勢でのぞんでみたいと思うのです。そのためには、選曲や練習のスタイルにも工夫がいりますし、あるいは我々の気持ちにも受け身だけではない「積極性」がいるように思うのです。
関西で活躍中の指揮者に「よどこん」というもの(キャラクターや音楽の方向性)を認識してもらうことによって、今後、合唱界の動きのダイナミズムの中で「よどこん」が果たして行くべき使命というものにも可能性が広がるようにも思いますし、関西の様々な合唱活動の中で「よどこん」の演奏活動がいろんな人に影響を与えたり有機的な関わりを持ちながら機能していくことも考えられます。その後には、「委嘱活動」なんかにもチャレンジしてみたい?・・・と考えていますが、(これで20周年までの目標が繋がる・・・)大きな志を持ちながら目の前の課題一つ一つに対して丁寧に謙虚に強い意思でのぞんでいくことが大切でしょう。もっともっと仲間を増やして、練習自体が生き生きとしているような合唱団に育てていきたいです。
また、よろしくお願いしますね。

P.S
(その1)
技術的には分かりやすいことを一点。
(長いフレーズをテンションが緩まずに歌えること・・・)、が出来ればもう一次元上の演奏が可能だと考えています。それから、皆さん出来るだけ発声練習から来てもらい、基礎練習についての理解を深めましょう。冒頭練習はウォーミングアップというよりも「よどこん」の技術的な方向性、テクニカルな部分での合唱への取り組み方の姿勢確認でもありますので。

(その2)
そうそう、コンクールもありました。今の「よどこん」にとってもっと粗の出ない選曲もあり得たでしょう。しかし、まだまだ未成熟な合唱団である我々としては、(粗を隠すやりかたでの)目先の結果はそれほど重要ではありません。ぜひチャレンジ精神を優先させてコンクールにのぞんでください。順位はともかく、本番は常に我々の演奏の場として大切。ぜひ、みんなを驚かせるような「元気な演奏!!!」を目指しましょう。

(その3)
男声はプラス10人増員目標。

いとうけいし


●REPORT●わたしのコンサート評・特別編

「淀川混声合唱団第14回演奏会」
於:いずみホール 2002年9月8日(日)

演奏会の感想その1

(Sop.鐡見佳子)

 皆様、演奏会お疲れ様でした。
 実は直前まで行く予定にしていなかったのですが、水曜か木曜の夜、恵司さん直々に来るようにとお電話がありまして、その後、Tちゃん経由Uちゃんからチケットがありがたくも送られて来まして、こうなると万難排して行かざるをえないじゃないですか。マイ・ダーリンは他に所用がありましたので、一人さみしく(?)行かせて頂きました。どうしても私に聴きに来いとおっしゃるのは、とっても辛い辛い批評を聞きたいからかしら(ひょっとしてK氏はM?)、それならご要望に応えて差し上げましょうかということで、紙面をお邪魔することに致しました。
 今回、お褒めの言葉はあちこちから聴かれていると思いますし、トータルとして皆様それなりに満足感のある演奏会だったのではと思っています。プログラムの組み方としては邦人曲が多いこともあり、なじみやすかったようですし、声も初々しさがあって好感がもてる演奏と思いました。
 さて酷評を始めます。まず「荒城の月」。淀混の皆ってハミングがド下手なのに、オープニングにようこんな曲をもってくるな。印象悪いったら。(ハミングが下手ってことは鼻腔共鳴がわかってないってことですよね。)その後ソプラノは旋律ずりずりしながら歌いはじめるし。アルトが案外上手く聞こえたので、あらアルト上手になったわ。と思ったのに、アルトが旋律歌い始めたらなんかしょぼしょぼした歌い方で・・・。この曲って荒れて果ててもの悲しいけれども、奥底に威厳のようなものがありますよね。全然それが感じられない。声もすべりだしが悪いせいだけなのか、のどの奥に吸い込むような出し方だし。思わずこの後大丈夫かしらと心配になりましたよ。(笑)
「ゴンドラ」「鉾」「カチューシャ」は自分も歌ったんで大きいことはいえないけど、なにせくり返しばっかりでしょ。アラがどんどん聞こえてしまう。「鉾をおさめて」に関しては、細見先生のピアノのペダリングが濁ってしまうのとリズムが少しつんのめっているのが以前の演奏会の時もそうだったのですが、ちょっと気になりました。(リズムに関しては先生のせいではなくって、指揮者とか演奏者の間に合わせて下さっているのかも。)またこのステージは聴き馴染みがある曲なので、特にソプラノの力量が問われると思うのですが、今のレベルでは少ししんどいなというのが正直な感想です。愛唱歌として口ずさむのは簡単だけど、愛唱歌として聴かせるのは難しいものですね。あと全体のバランスとして男声が少ないのが残念でした。特にベースはもう5人くらいは欲しいですね。
 「Sisask」はようわからん曲でした。細かいところではフレーズの終わりがsで終わっているところが多いんですが、多いだけにその語尾のsの処理が雑なのが気になりました。コンクールでこの曲をとりあげるとすればまずそこをすっきりさせるだけで、随分印象が変わってくると思います。それからDeusという言葉がオブリガートのような形で何回も聴こえてくるのですが、まずuの母音が浅すぎるのとusの発音が語尾にしては跳ね過ぎるのが気になって気になって、本当にあんたら「神」ってわかって言葉を歌ってるのん?と問いたくなりました。また音程もずりさがったような変な感じでとってもとってもだらしなく聴こえました。(そういう曲なのかもしれないけど)後でパンフを読むと「これは神という存在を一つの・・」というようにすばらしい解説が書いてあるのに。是非次回はそういう演奏して下さい。とにかくいま一つ盛り上がりとか、おいしいところとか味わう前にあらら何か終わっちゃったって感じでした。(でもそういう曲なんですか?)
 「おらしょ」は、ただただ藤井先生て凄い方だなぁと思いました。振っている後ろ姿だけでどんなふうな音楽を作りたいかがわかるんですもの。強弱はもとより、はりつめるところ、流れるところ、どのパートの旋律を歌わせたいのかとか、マルカートにしたいところとかが伝わってくるんです。指揮で先に音楽が流れていて、その後から皆が懸命についていこうとしているのですが、おしいことにあと一歩か二歩とどかないって感じの演奏でした。とにかく歌う側の力を十二分に発揮させるタイプの指導者じゃないかと感じられました。私は皆さんの実力が一番発揮できたのはこのステージではないかと思います。音楽としてもメリハりがあったように思います。ただそれが皆さんの実力によるよりも、藤井先生の力の方がより大なのじゃないかと思えるところが残念な気がします。客演ということでは3年間本山先生に振って頂き、次の3年間松下先生・雨森先生・藤井先生に振って頂きました。それぞれすばらしい先生ばかりで、得ることは本当に一杯あったと思います。けれど本来ならその6年でもっともっと成長できたのはずなのに、自分達の努力がたりず糧にできなかったところは多いのではないかと思います。その点は反省しなければならないような気がします。あっそれから蛇足だけれど、舞台みててふっと気付くと、いやあー恵司さんが歌ってるじゃありませんか!(当たり前か)人には楽譜にかじりつかへんようにとか、いい顔するように言うてるけど、結構恵司さんも余裕ないやん!(当たり前か。笑・・・)。などと、ちょっとニヤニヤしてしまいました。
 第4ステージはまたまた林光のアレンジ集でしたが、ここでちょっと伴奏のことに触れます。「死んだ男」は私が武満で歌ったときはアカペラでしたが、このアレンジではピアノ伴奏がついていてその伴奏でより哀愁とか切実さを表現しているように思いました。これは個人的趣味の域なのかもしれませんが、細見先生のテクニック等は申し分ないのですが、ピアノの音色がどうもこのステージに関しては合わないような気がしました。先生の音は暖かく丸みのある柔らかい音色でそれはそれでとても好きなのですが、鋭さとかがないのでどうもこのステージ全体に必要な切迫感とかに欠けるような気がしました。(アンコールはとてもフィットしていて素敵だと思ったのですが。)
 「死んだ男」は最後の方になると、わーほえてるほえてるって感じでした。聴く側になってはじめてわかるんですが、いくら感情が高ぶってきても乱暴に聞こえないように理性を残していなければ、結局本当に強く訴える力とはならないってことですね。私自身にも覚えがあることなので、あらためて自分自身の戒めにもなりました。
 「うた」は最後に「戦いを知っておぼえた」というのが3回繰り返されてその間に2回間がありますね。その間が指揮者との呼吸があわないのか、理由はわからないけれどなんかぎくしゃくしてて妙な感じでした。
 「ねがい」をふくめて3曲とも第1ステージと同じく、繰り返しが多いので、本来ならその繰り返しによって訴える力を増さねばならないところ、少々うんざりさせているきらいがあったように思います。
 「星めぐりの歌」は締めくくりの大事な歌なはずなのにいったい何を歌いたいのか、皆がこの歌に何を感じているのかが全然分かりませんでした。私は宮沢賢治が好きなので彼の星にこめる願いをもっと感じたかった。皆さんも宮沢賢治が天文学が好きなこととかは御存じといますし、「よだかの星」や「銀河鉄道の夜」や「永訣の朝」を読んだだけでも、彼が星に対してどういう思いを抱いていたかが想像できると思います。別に彼の思いでなくてもいいと思います。都会育ちで星なんか見上げたことなどないかもしれないけれど、人はきっと星を見上げると色々なことを思うでしょう。それを歌の上手い下手とかでなく表現してほしかった。もっと遠くをみるようなまなざしの人が多くてもいいんじゃないかと思った。はっきりいって「山羊座、水瓶座、魚座、これは今月の星占い・・」などと歌っても一緒じゃないかなんて不遜なことを思いました。大変失礼なことをいいましたが、私は音楽というのはが何か思いがあって伝えようとすることが原点じゃないかと思っているので、それが欠けていると「何が楽しくて歌ってるの?」という問いかけになってしまう。ですから最後の締めくくりとしては残念でした。
あとチケットの値段ですが、本当に2000円の価値の演奏ができたかどうかを皆さんに問いたいと思います。ホールや客演やあれこれでそういう価格になったとは思いますが、自分なら2000円払って聞きたいですか?申し訳ないけれど私ならごめんです。
 さてこれだけ勝手なことばかり言って、「でもよかったよ」というとお叱りを受けそうですが、最初にいったように爽やかさやこれから成長していく芽をしっかり感じられた演奏会でした。ですからこの失礼の数々を是非成長の糧として頂ければと思います。また私自身の反省にもなり、大変勉強になった演奏会でした。ありがとうございました。早く皆様と共に歌える日が来ることを願っています。


演奏会の感想その2

(Sop. 土谷美映子)

 私が大学で所属していた合唱団は、学生指揮者を含めて23人という比較的小さな団だったので、ソプラノだけで23人という大きな団であるよどこんで歌えることは、もうそれだけでわくわくでした。 さらに、一度も立ったことのないいずみホールでの演奏会。もちろんホールに行ったことさえありません。響きのよさとパイプオルガンに圧倒されながら、嬉しくて仕方ありませんでした。
 前日というと、私はソプラノの皆様はじめハーモニーをお作りいただいている他パートの方々に申し訳ない程、シサスク様には泣かされっぱなしでした。一晩中テープを聴いて、うなされ、寝不足になったのは私だけでしょうか・・・。
 そんな翌日なのに、私は頭書のごとく、わくわくして、そわそわして、嬉しくて、すっごく楽しく演奏会に参加することができました。社会人1年目、ちょっと灰色な日常のオアシスでした。ホールも素敵でした。お客さまもたくさんでした。でも何より、よどこんという魅力いっぱいの団の一員として、大好きな藤井先生、あこがれの伊東さんや、尊敬する団員の方々と歌えることが嬉しかったのです。「見てっ! 素敵な団でしょ?」と私はそんな気持ちいっぱいで思い切り歌えました(いい声が出たかどうかはおいといて)。この気持ち、くせになりそうです。
 演奏会を(それから未熟者の私を)いろんな意味でいろんな場面で支えてくださった皆様、本当にありがとうございました!


演奏会の感想その3
演奏会によせて

(Sop. 小林美代子)

今回は「いちど、いずみホールの客席から淀混の演奏を聴いてみたい!」という願いが叶いました。難曲のシサスクに加え、私個人の練習不足、又”聴くこと”で今後の糧にしようという大義名分を無理につくり当日をワクワクして迎えました。
心のこもった本当に素適な演奏会でした。第一ステージ、明るくなったところでしっとりと歌い上げられた
『荒城の月』は心からいい歌だなあと感じました。日本語の歌は淀混ってやっぱり上手ですよね。
『おらしょ』では全く違った淀混の姿を見る思いでした。指揮者と団員の、あ・うんの呼吸みたいなものを感じ,いきいきとした曲になったり、せつなさが混じったり。
林光ソング集も楽しみでした。『星めぐりの歌』はピアノの澄んだ音色にコーラスが重なり、終わりの方の男声もとてもきれいでした。目をつぶれば星のまたたきが見えるようで、宮澤賢治の世界そのものに思えました。
どのステージも男声が無理のないきれいなハーモニーに聞こえました。団員の皆さんの曲への思いや、歌うことの楽しさがびんびん感じられ、伝えようと思って歌えば本当に伝わるんだなあというのが実感です。
淀混はいろんな年代の人たちがひとつの色にうまーく溶け合っている、、、、、そんな印象を客席で感じながら、この人たちの中でずっと歌っていきたいなあと思いました。聴き終えて爽やかな気分にしばしひたりながら帰路に着くことができました。


演奏会の感想その4
もうひとつの舞台裏から

自称よどこんデザイン顧問(ただの休団員?)谷 卓司 

 日頃スポットの仕事ばかりしておりますと、6月に合唱祭、11月にはコンクール、夏に一本定演という…あたりまえの規則正しい歳時記が、妙に懐かしく感じたりします。
 在団当時はともかく、一度よどこんのある生活を離れてみますと、目指す音楽性や方向性、日常の微妙な息づかいがまったく読めない「盲目状態」での創作を強いられることになります。にも関わらず、チケットやリーフレットといった宣材は、何よりも早く…(およそステージの曲順さえ明確に決定していない段階から)「演奏会のイメージ」というものを先行して世間に流布する、極めて責任重大な媒体に他ならないのです。ならば、それをデザインするという作業が、如何にストレス価の高いワークであるか、お察しいただけるのではないでしょうか。
 ご存じのように第10回は記念すべき「10」を全面に押し出したデザインとしました。以降、この「演奏会の回数」を幾何学的にあしらったシリーズが今日まで続いています。演奏会当日、いずみホールで音楽を耳にするその瞬間まで、変な事前イメージを醸成させない「無機的」で「控え目なデザイン」を狙っている…と言ってしまえば、聞こえは良いかも知れませんが、正直のところ専ら「盲目」の成せる業に他ありません。
 回想ついでに申し上げれば、当日配布するプログラムが現在のスタイルに落ち着いた初めは、第6回の「ポーギーとベス」公演の頃。自分史的には「よどこん黄金時代」と勝手に位置づけていて(笑)、演出もソリストも…かなりド派手に楽しませて貰ったことを、つい昨日のことのように覚えています。費用もそれなりにかかりました。いわば、その時の後遺症(?)を未だに延々と引きずっている格好となるでしょうか(自戒!?)。
 ですが、誰がための演奏会か?と考えた時に「聴衆」という表現の受け手の存在を無視することはできません。これはプロ・アマに共通の命題であって、技巧的な上手い下手を論ずることもさることながら、聴き手に一定量の感動を約束し、お持ち帰りいただくこと(を心掛ける…)のほうが、ある意味重要と言えるかも知れません。実際、よどこんのプログラム編集にあたっては、聴き手の感情移入の一助となるよう、内容を膨らましたり味付けをして、瞬間芸術である「演奏」の補間剤としての相乗効果を狙うようにしています。
 それこそ「団員紹介」のページ等は、毎年毎年プログラム委員の方々に相当の負荷をおかけしながら完成にいたっている次第。あまりに手間で大変だから「今年は止めようよ〜」という声が一部に上がってはいたのですが、興業性(Entertainmentism)あるいはホスピタリティ(おもてなしの心)の観点から(半ば強引に?)実現しちゃいました。関係者の皆様お許しください(笑)。
 最後に個人的な演奏評をひとつ。ステージ上ではハラハラ・ドキドキのスリル満点の演目だったかも知れませんが、一聴衆として僕は2ステのシサスクが最も好演ではなかったかと感じています。聴き手のほうも「現代音楽であること」を意図して耳を傾けるからかも知れませんが。


●REPORT●

第6回世界合唱シンポジウム(ミネアポリス、8/3-10)に参加して

坂口和彦

 世界合唱シンポジウム、3年ごとに行われる最も大規模な合唱音楽情報交換の場で、第6回大会は8月3日から10日までミネアポリス(ミネソタ州、USA)で開催された。全参加者数は約3000人で、世界各国の合唱指揮者をはじめコーラスメンバーや合唱愛好者とその家族等。場所柄半数以上はアメリカ人。日本からの参加は団体(大久保混声合唱団、岐阜高校コーラス部)を除いて59人、これまででいちばん多いそうだ。ちなみに私は日本人で最も早く(1月22日)参加登録したため希望通りのホテル(85ドル/泊、朝食つき)を予約できた。8月のミネアポリスはだいたい晴れで涼しく、歩いていても汗をかいた記憶がほとんどない。以下、思いつくままに内容、感想等を書く。

 初日は、協会で合唱レパートリーの紹介セッションが行われる。1時間半の区切りで4つに分けられ(ヨーロッパ&中近東、北アメリカ、アジア&環太平洋、ラテンアメリカ&アフリカ)、参加者全員にスコアが配布されて全部で80曲あまりを数人の講師(指揮者)の指導により全員で片っ端から歌っていく。とにかく譜読みが早い早い。複雑そうな部分でもすぐに形となって曲の輪郭がわかるようになる。ちなみに自分が知っている曲・編曲は2〜3曲しかなかった。初日夜のコンサートは様々な種類のアメリカン・コーラスを聴くというもの。シャンティクリアによるアメリカの現代曲からフォスター歌曲、黒人グループによるスピリチュアルズ、ゴスペル、さらにはバーバーショップ・カルテットまでが次々と休みなく演奏される。
 シンポジウム会場であるコンベンションセンター、協会、そしてコンサート会場であるオーケストラ・ホール(約2500人収容)は歩いて5分以内で移動できる。オーケストラ・ホールの音響効果は全米でも有数で、700人の大合唱からカルテットまでそれぞれの持ち味を存分に伝えてくれる。シアターピースの演出にも十分対応できていた。
 翌日からのスケジュールは次のとおり。毎朝協会でOpen Singing (8:30-9:00)があり、まずいっしょに歌って1日が始まる。レクチャー・セッションは全てコンベンションセンターで行われる。morning(9:15-10:30)、mid-morning(10:45-12:00)、afternoon (16:15-17:30)の3回。4会場で異なるセッションが平行して行われ、参加者は自由に選んで聞く。多くがモデル合唱団を配備したり録音を聴かせながらの講義である。エリク・エリクソンの指揮と解説によるスウェーデンの合唱作品の紹介セッション。歌い手の並べ替えによりユニゾンの合わせ方、聞こえ方を体験するセッション。ヘルムート・リリンクの指揮と解説によるロ短調ミサ(バッハ)の解釈セッション。ボビー・マクファーレンの実技による声を使った様々な表現方法のセッション。等が印象に残った。
 コンサートは昼(13:30-15:30)と夜(20:00-22:30)の2回で計14回、30数団体(プロもアマも)が演奏した。様々なカラーの合唱音楽に片時も飽きることがなく全てを鑑賞した。レベルはもちろん高い。印象に残ったところでは、アルメニア・リトル・シンガーズ(アルメニア)、カントニア・デ・マリダ(ベネズエラ)、聖ヤコブ室内合唱団(スウェーデン)、モスクワ国立音楽院室内合唱団(ロシア)、ウィーン室内合唱団(オーストリア)、エルマー・イスラー・シンガーズ(カナダ)、ノルウェー・ソロイスツ合唱団(ノルウェー)、デール・ワーランド・シンガーズ(USA)、アンサンブル・シンガース(USA)といったところ。ほとんどが自国の合唱曲を中心にプログラミングしており、自分たちの音楽の「色、味」を大事にしている。トヌ・カリユステ(エストニア)指揮によるWorld Youth Choirのコンサートはセント・ポールの大聖堂で行われ、今年は日本人が5人メンバーになっていた。圧巻はボビー・マクファーレン+12人のグループによる「Voicestra」という声だけでつくる歌と音響のパフォーマンス。メンバーの紹介以外は一言もしゃべらず全てアドリブで様々なハーモニーを作り上げる、その過程に何とも興奮する(しかも2時間ぶっ通し)。日本から参加の大久保混声合唱団、岐阜高校コーラス部はいずれも日本の合唱曲でプログラム構成し、世界の舞台をかなり研究しているよう見受けられた。良い演奏で自分たちの音楽を力いっぱい披露した。が、総合的には世界の場ではかすんでしまう印象を持ったのは私だけであろうか。
 この旅行でまともな食事は2回だけだった(中華料理とイタリアン(ムール貝))。朝食はホテルで、昼間は「World Choral Expo」という展示会で楽譜やCDを見るのに忙しくポップコーンとコーラだけ、夕方にピザを一切れ食べ、夜のコンサートの後にパブでビールと何か一品という食生活。旅行に来てまで何かあわただしく「ああ、日本人やなあ」と感じた。この「World Choral Expo」というのは世界各国から楽譜の出版社とCD販売業者が集まる展示会のことで、とにかくものすごい量の合唱の資料が手に入る。CDはひとつひとつ吟味している時間はなく、面白そうだと思ったあたりをゴソッと買うことにする。楽譜は前もってリストアップしていたものとこのシンポジウムで知った曲で気に入ったものを探して買った(楽譜とCDで8万円分)。
 私はこれまでヨーロッパ・カンタートなどの国際合唱フェスティバルには4回参加しているが、シンポジウムへの参加は今回が初めてである。シンポジウムは指揮者のためのセッションが数多くあり、レベルが相当高いものもある。しかし、私が経験した合唱のインターナショナルな催しに共通して言えるのは、どれもが全ての参加者が心から楽しめるよう企画されているということだ。全てとは指揮者、歌い手、聴き手、そしてその同伴者(家族)である。なぜ、楽しめるのか。まず、演奏、講義等全てが「本物」である(目指している)こと。次に、参加者が受け身でないアクションをすること。多くの聴衆が自らレクチャーを盛り上げ、コンサートでは割れんばかりの拍手と歓声(時にはブーイング)で演奏者に意思表示をする。そしてそんな雰囲気の中で思わず積極的になれる自分を発見できるからであろう。講義の英語は半分ぐらいしか理解できなくても、終了後に講師をつかまえて質問をすることでいくつかの疑問が解決し、同時に思わぬ情報を手に入れる経験を何度かした。「求めよ、さらば与えられん」である。話してみてわかったことだが、彼らの中には日本の合唱曲についてびっくりするほどよく知っている人もいる。それから、合唱指揮者には驚くほど女性が多い。日本との音楽事情の違いを実感せずにはおれない。
 3年後の京都での第7回シンポジウムの視察に多数の合唱連盟関係者が参加しており、いろいろ情報交換させていただいた。この催しの経済面での成功には参加者のおよそ6割が開催国からの参加であることが必要らしい。日本人参加者が2000人以上集まるかどうか。公式セッションは全て英語で行われ同時通訳はない。日本人には英語を聞き話す能力(読み書きではなく)が低いという大きなハンディキャップがある。1984年に長野で国際合唱フェスティバル(アジアカンタート)が行われたがこのときは全てに同時通訳がついた。しかし、国際シンポジウム(講師の9割は外国人)で同時通訳がつくと時間が倍かかり進行に大きく影響を及ぼす、また、国籍を越えた音楽というつながりの中で日本の孤立感をさらけ出すことにもなる。日本でのシンポジウム開催の最大のネックはこれであろうか。また、滞在費(1週間のホテル代)が非常に高いことも問題だ。シンガポールから参加の指揮者(女性)は、京都にも参加したいが費用がいくらか心配だといっていた(参加費(今回が約6万円)+滞在費+飛行機代)。私見だが、外国人は日本で開催する国際シンポジウムである限り「日本」に興味を持ってやってくる。そこでは日本がこれまでやってきた音楽文化を正当に(全く背伸びすることなく)発表することが求められるだろう。コンサートでは日本の合唱団はぜひ日本の様々なスタイルの合唱曲を歌ってほしい。いくらブラームスやブルックナーをやったところで、同じ舞台でドイツやオーストリアの合唱団が「本物」を聴かせるのである。国際シンポジウムは「本物」を披露する場であり、聴衆はそれを選別する。当然ながらこのことは我々が普段にいろいろな音楽にチャレンジすることを否定しているのではない。むしろ多くの音楽に目を開くことはシンポジウムの意義そのものである。それから、このような催しに参加してはじめて体験できる音楽の喜びを強調しておきたい。英語が苦手なんて全く関係なし、「音楽は国際語」であり、「本物」を前に言葉はいらない。京都大会ではひとりでも多くの人に参加してほしい、そしてその喜びを共有したく思う。

 最後に、今回の参加で大いなるカルチャーショックそして合唱音楽への畏敬の念を再認識した。日本にいるから知らないことがあまりに多い。うれしかったことは世界の合唱愛好者と知り合いになれたこと、そして最も強く心に残ったのは、本シンポジウムが疑いなく合唱を心から楽しむための催しであると確信したことであった。いつか家族で参加するぞと心に誓った。
 久々のエキサイティングな8日間で、体重は2キロ減ったが、多くの体験でおなかいっぱいになった旅行でした。

(番外編1
 真ん中の8月7日はセッションが全部休みで、親睦のための郊外ツアーが組まれていた。私はStillwaterという西部開拓の拠点となった町からのボート・クルージングの旅に参加。ここで数人の日本人と知り合った。何とそのうちの一人は18年前アジアカンタートin長野(国際合唱フェスティバル)のとき同じ宿坊で1週間寝泊まりした昔の仲間。個人参加した日本人で急きょ合唱団を組織しカンタートに飛び入り参加したエキサイティングな思い出がよみがえった

(番外編2
 帰国前日、疲労がたまっていたので仮眠をとろうと午後ホテルに戻ったところ、何とその日の午前でキャンセルアウトされていた。ホテル側に掛け合い荷物を取り戻したが(何もかもビニール袋に入れて別室に置いてあった)、あいにくホテルはすでに満室(仮眠どころではない)。間違いを認めさせ全額ホテル持ちで別のホテルを紹介 してくれたがミネアポリス郊外で空港とは反対方向。早朝のフライトだったので空港で徹夜しようかとあきらめていたが、シンポジウムで知り合った日本人夫婦の好意により別ホテルの彼らの部屋に泊めていただくことで一件落着。海外での日本人のコミ ュニティはありがたい。生き返った。 (2002年8月23日記)

シンポジウム・スケジュール

8/3
レパートリー紹介セッション1(ヨーロッパ&中近東、9:00-10:30)
レパートリー紹介セッション2(北アメリカ、10:45-12:15)
レパートリー紹介セッション3(アジア&環太平洋、13:45-15:15)
レパートリー紹介セッション4(ラテンアメリカ&アフリカ、15:30-17:00)
コンサート(20:00-22:30)

8/4-6、8-10
Open Singing(8:30-9:00)
レクチャー・セッション(9:15-10:30)
レクチャー・セッション(10:45-12:00)
コンサート(13:30-15:30)
レクチャー・セッション(16:15-17:30)
コンサート(20:00-22:30)

8/7
休日(親睦ツアー、9:00-16:00)
コンサート(20:00-22:00)

初日(8/3)にはオープニング・レセプション(22:30-)、最終日(8/10)にはクロ ージング・レセプション(22:30-)がある


  ●木寺洋介の合唱連盟便り●

コンクールの出演順

一般の部B(6団体)
1 大阪混声合唱団
2 陽声たまゆら会
3 淀川混声合唱団
4 豊中混声合唱団
5 女声合唱団はづき
6 混声合唱団はもーるKOBE

一般の部A(23団体)
1 合唱団ジルウォ
2 宝塚ゾリステン
3 Aioi Sumire Sister Singers
4 Coro Estrela
5 Choeur Liberte
6 Medieval Voice
7 創価学会関西男声合唱団
8 合唱団セイティブ
9 グレイス・シンガーズ
10 グローリア
11 布施混声合唱団
12 神戸市役所センター合唱団
13 創価学会関西コーラス
14 合唱団しらさぎエコー
15 創価学会兵庫男声合唱団
16 ル・ヴァン・エレガンテ
17 Ensemble Reed
18 アンサンブル・キアーラ
19 女声合唱団セシリア
20 Outsider
21 Choeur Chene
22 アンサンブルVine
23 混声合唱団CADENZA

招待演奏
なにわコラリアーズ
住友金属混声合唱団


Infomation

●わしざきはるの演奏会情報●
−心の財産をみつけよう−

このまえの七月、ある演奏会を聴きに、神奈川県まで行きました。平均年齢が少し高めの男声合唱団(情報をくださった40歳セカンド氏談「私はまだまだ若手メンバーです」)でしたが、演奏は「生きた音楽」そのもので、レセでは「ようこそお越しいただき、本当にありがとうございますっ!!」と大歓迎されまして、客演の先生がたにも謁見できて(団の設立者氏のファミリー三世代にまで御目にかかれたのは本当に幸せなことでした)、感激!すごく嬉しかったなあ。大好きな演目(チャイコフスキー歌曲集:ロシア語版)だったし、ただもう、聴きに行きたくて、行かせてもらって、素敵な演奏をたっぷり聴かせていただいて、こちらからお礼を言うのが本当なんだろうけれど。でも、演奏側と聴衆の需給バランスが見事にとれていて、お互いお礼を交換し合えるって最高ですね。そんなこともあって、コンサートに足を運ぶことって、昔も今も、飽きない、精神的に贅沢な楽しみなのです。

OCTOBER・10月
5・土 DonKusak=合唱団第11回自前音楽会 東京・目黒区民センター
12・土 第57回関西合唱コンクールおかあさんの部 池田市民文化会館アゼリアホール
13・日 第57回関西合唱コンクール一般の部 池田市民文化会館アゼリアホール
14・月 第57回関西合唱コンクール大学職場の部 池田市民文化会館アゼリアホール
26・土 第55回全日本合唱コンクール全国大会高校部門  神戸国際会館こくさいホール
27・日 第55回全日本合唱コンクール全国大会中学校部門 神戸国際会館こくさいホール
27・日 第29回関西六大学合唱演奏会 大阪厚生年金会館大ホール
NOVEMBER・11月
4・月 バッカスフェスタ 伊丹市立文化会館いたみホール
23・土 第55回全日本合唱コンクール全国大会大学・一般A部門 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
24・日 第55回全日本合唱コンクール全国大会職場・一般B部門 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
24・日 早稲田大学グリークラブ 東京厚生年金会館大ホール
DECEMBER・12月
1・日 同志社学生混声合唱団C.C.D. 長岡京記念文化会館
1・日 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 昭和女子大学人見記念講堂
5・木 京都大学グリークラブ 京都府立府民ホールアルティ
6・金 立命館大学混声合唱団メディックス 長岡京記念文化会館
7・土 同志社グリークラブ 京都コンサートホール大ホール
8・日 大阪大学混声合唱団 尼崎市総合文化センターアルカイックホール
8・日 神戸市役所センター合唱団 神戸新聞松方ホール
9・月 関西大学混声合唱団ひびき 吹田市文化会館メイシアター
9・月 神戸市役所センター合唱団 神戸新聞松方ホール
13・金 関西学院大学混声合唱団エゴラド 尼崎市総合文化センターアルカイックホール
13・金 法政大学アカデミー合唱団 東京・ティアラこうとう
15・日 コール・セコインデ 伊丹市立文化会館いたみホール
15・日 神戸大学混声合唱団アポロン 尼崎市総合文化センターアルカイックホール
15・日 神戸市役所センター合唱団東京公演 きゅりあん大ホール
20・金 立命館大学メンネルコール 長岡京記念文化会館


 
●かわぶっちの内政だより●

Alt 河渕清子  

つばめが南へ帰って行き雁が渡って来ました。
「月ごとに月みる月はおおけれど 月み(観)る月はこの月の月」と古人の遊び歌にも詠まれているように、月の色が一年で一番美しいのも九月です。
長月(ながつき) 玄月(くろづき) 色取月(いろとりづき) 紅梅月(こうばいづき) 濃染月(のうせんづき) 紅葉月(もみじづき) 木染月(きぞめづき) 夜長月(よながづき) 寝覚月(ねざめづき)
など様々な呼び名のある九月の宵に、月を眺めてもの想いに耽るのもいいですね。

【練習予定表】
(2002-9-17日現在)

9月	22日(日)
 	23日(祝)	合宿(奈良県青少年会館YH)
 	29日(日)	善隣館	13時〜17時
10月	 6日(日)	ミ−ド	13時〜17時
 	12日(土)	すてっぷ	13時〜17時
 	13日(日)	関西コンク−ル
 	20日(日)	善隣館	3時〜17時
 	27日(日)	ミ−ド	13時〜17時
11月	10日(日)	ミ−ド	13時〜17時
 	16日(土)	未定	15時〜17時 & 18時〜21時
 	30日(土)	未定	15時〜17時 & 18時〜21時
※場所・時間が変更されることがありますので、ご注意ください。



●編集後記●

第14回定期演奏会は無事終了したようです。
『ようです』って? そうなんです、私は仕事の都合でこの演奏会に出られなかったのです。
このPLAZAを編集しながら、演奏会の様子を思い浮かべています。
ステージに乗ったみなさま、お疲れさまでした。そして、支えてくださったみなさま、ありがとうございました。

では、次回のPLAZA発行は11月10日、原稿締切は10月27日の予定です。常時原稿募集中ですのでどうぞよろしく。

(AO)


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