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春! 新しいメンバーとともに 若々しく生き生きした合唱団に
《保存版》技術資料 |
●客演指揮者紹介● |
藤井宏樹(ふじい ひろき)合唱指揮者
山梨県出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。声楽を畑中良輔、中村義春、近藤礼子の諸氏に、指揮法を黒岩英臣氏に師事。現在、9団体を有する《樹の会》とEnsemble PVDの常任指揮者及び音楽監督を務めるほか、メンネルコール広友会の技術顧問、合唱団「弥彦」の講師としても活躍している。全日本合唱コンクールでは13度の金賞を、スペイン・トロサ国際合唱コンクール(’98)では総合2位を、イタリア・アレッツォ国際合唱コンクール(’99)では等声部門において2位を受賞する。
近年ではコンクールの審査員や、各地で行われる講習会の講師、また各種コンサートの企画も積極的に行っている。特に1999年からは東京文化会館主催の「上野の森コーラスパーク」の実行委員会を連続して務めるほか、2000年夏には(財)山口県文化振興財団と秋吉台国際芸術村が主催する「秋吉台の夏音楽祭with秋吉台芸術アカデミー2000:音楽 新世紀の協演−創造する空間−」の企画に、ピアニスト清水和音、作曲家鈴木輝昭の両氏とともに携わり、そのコンサートでは女声アンサンブルJuriを率いて清水氏との共演(清水氏初の合唱との共演)を果たし、好評を博した。また、昨年秋にはラトビア室内合唱祭に招待された。
現在、日本合唱指揮者協会会員。21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」幹事。
●《保存版》技術資料● |
この歌曲集は、林光が近代歌曲の歴史の中で人々に愛唱されている名曲を選び、合唱曲にしたものである。1964〜1975年にかけて、東京混声合唱団のために書かかれており、小沢征爾、岩城宏之、田中信昭らによって初演された。
林光自身が楽譜の「はじめに」に書いているように、合唱曲の技巧を凝らすことよりも、愛唱歌を口ずさむ楽しさを心がけた曲集である。この取り組みから、林光が日本語の「うた」に対してどのような思いを持っていたかが伺える。
前回のPLAZAの内容と少しかぶるかもしれないが、林光は、日本語による「うた」の可能性を探る上で、日本語が日本語として聴こえるような作曲を心がけていた。日本語が日本語らしく聴こえる「抒情歌」のメロディーを損なわないような配慮が、この歌曲集にも表れている。
《各曲解説》
1.早春賦
2.ゴンドラの唄
3.鉾をおさめて
4.カチューシャの唄
5.箱根八里
吉丸一昌 作詩・中田 章 作曲 1913年発表
この「早春賦」は、「故郷を離るる歌」「四つ葉のクローバー」「ニーナの死」などで有名な吉丸一昌が、大正の初期(1913年頃)、東京音樂学校教授時代、しばしば南安曇野に滞在し、穂高町あたりの雪解け風景を取材したものと伝えられている。
吉丸一昌は大分県臼杵市出身。「早春賦」は、大正2 (1913)年刊行の『新作唱歌』第3集に発表された(『新作唱歌』は吉丸が作詩した75編の詩に10名の作曲家たちが曲をつけ、全部で10巻発行された)。
作曲を担当した中田章は、東京生まれで、パイプオルガン奏者としても有名であった。「夏の思いで」「めだかの学校」の作曲家として知られる中田喜直は、章の息子である。
〈ちょっとだけ言葉の説明〉
2番の歌詞にある「つのぐむ」とは、「角ぐむ」と書き、葦(あし)、薄(すすき)、真菰(まこも)などが、角(つの)のような芽を出すことを言う。
「あやにく」は「生憎」と書く。感動詞「あや」に形容詞語幹「にく」の付いた語。「生」は当て字。あいにく、折悪しくという意味。
吉井勇 作詩・中山晋平 作曲 1915年発表
「ゴンドラの唄」の作詞者は、明星派の歌人として出発し、石川啄木などとともに、文芸誌『スバル』の創刊に当たった吉井勇。(中山晋平については4.を参照下さい)
この曲は、歌詞良しメロディー良しということもあり、大正時代に大流行し、人々の愛唱歌として親しまれた。
戦後、黒沢明監督の傑作の1つ『生きる』によって再び有名になった。
今回の編曲では詩の1・2・4番が取り上げられている。ちなみに3番の詩は以下のようになっている。
いのち短し 恋せよ少女
波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
時雨音羽 作詩・中山晋平 作曲 1926年発表
作詩者の時雨音羽(シグレ オトハ)は北海道利尻町出身。ニシン漁家の綱元に生まれる。日大法科卒業後、大蔵省主税局勤務を経て27歳の時に雑誌『キング』に「出船の港」を発表。作詩家として認められ、30歳の時に日本ビクターに文芸顧問として入社した。その後、「君恋し」「浪花小唄」などのヒット曲を編み出し、流行作詩家となる。小学校唱歌「スキー」も、彼の作品である(作曲は平井康三郎)。時雨が詠む自然は、「スキー」の冬山、「出船の港」の海岸の風情など、古里利尻をイメージしたものが多い。(中山晋平については、4.を参照下さい)因みに「鉾」とは、両刃の剣に長い柄をつけた武器のことである。刺突用。古代に用いられたが平安時代からは薙刀(なぎなた)などにとってかわられ、儀仗・祭祀(さいし)に用いられるのみになった。他に「矛」「戈」「鋒」「戟」などとも書く。「鉾をおさめる」という表現は、戦闘を止める・争いを止める、という意味がある。
今回の編曲では1・2・3番が取り上げられているが、実は、4番もある。
エンヤッサ エンヤッサ ヤンレッサ ヤンレッサ
踊り疲れて 島かと見れば
母へ港へ 土産(みやげ)の鯨
2番の歌詞にも「くじら」が登場する。この詩は、捕鯨の様子を詠んだものなのだろう。
島村抱月/相場御風 作詩・中山晋平 作曲
1914年発表
大正3(1914)年、芸術座(*)で初演されたトルストイの『復活』の中で劇中歌として松井須磨子が歌い、大ヒットした曲。
作詞は抱月が台本執筆中に1番の歌詞を作詞しており、2番以降を弟子の相馬御風に託した。作曲は御風の進言により、抱月宅の書生をしていてまだ無名の中山晋平に依頼した。
(中山晋平はその後、「シャボン玉」「てるてる坊主」「肩たたき」「こがね虫」なども作曲。)
『復活』は、かつて自分が堕落させた娘・カチューシャを無実の罪から救おうとする青年貴族・ネフリュードフの奔走や良心の悩みを描きながら、当時のロシア社会の不正・虚偽を暴いた作品。ネフリュードフは奔走の中でカチューシャを深く愛していくが、彼女には、共にシベリアへ行く誓いを立てた、別の男が既に存在していたのであった...。かくして、彼らの間には、避けがたい決別が訪れる。「カチューシャの唄」は、この決別の場面で歌われた。
鳥居忱 作詩・滝廉太郎 作曲 1900年発表
作詩者の鳥居は、滝の東京音樂学校時代の教授(音楽通論、国語を担当)である。滝が東京音樂学校研究科時代(21歳)、鳥居の詩「箱根八里」に曲を付け、「荒城の月」「豊太閤」という作品と共に『中学唱歌』の懸賞応募に応募した。
漢詩風の詩。対句の妙味を味わうこと。明治30年代の青年を叱咤激励する意図から、この歌が作られたのではないか?と推測する向きもある。
【全訳】
(1番)
箱根の山はわが国最大の交通の難所である。
中国一の交通の難所である「函谷関」も比べものにならない。
箱根の道は前に万丈の山が聳え、後は千仭の谷を臨む険しい道である。
また、山々は高く雲に覆われ、谷は深く霧の中に沈む。行く手の道は昼でも暗い杉並木の中である。
この小道は羊の腸のように曲がりくねり、濡れた苔道は滑るので歩行が困難である。
このような要塞の地は、一人の兵が守備に当たるだけで充分、たとえ万人の敵が攻めて来ても陥落することはない。
その昔、国中を往来した屈強な武士は、太刀を腰に差しこの八里の岩道を高下駄の音も高らかにこの難所を通ったものである。
(2番)
箱根の山は国内一の交通の難所である。
中国の名高い交通の難所「蜀の桟道」も比べものにならない。
万丈の山・・・・・・・・・・・・・万夫も開くなし →(一番と同じ)
今時の若者は草履を履き、山野を、猟銃を持って八里の岩道を駆け回るが、昔の男性が、高下駄で岩道を踏み鳴らして通ったように剛毅な若者であってほしいものだ。
やぐちなつこ
付録(「箱根八里」語録 Byかわぶっち清子)
LINER NOTES |
彩りの良い季節となってきました。 しかしながら?またまたプラザの締切がやってきてしまい、ちなみに昨年の今ごろは何を書いていたんだろうと思って、ホームページを開くとだいたい今の状況と同じようなことが書いてありました。
(本来は閑散期のはずなのに数えてみると毎週5回の合唱祭関係会議に追われる日々…昨年)
…京田辺にいることを幸いにして?京都・大阪の合唱祭とも実行委員ではありますが、あまり参画出来ていません。でもどうやら、両合唱祭でも講習会を引受けねばならないようです。ひとつがんばってみます。
(先日、保育園の生活発表会(学芸会のようなもの)がありました。…昨年)
…うーむ、今年もありました。昨年は全く口も開かず、「何故なの?どうして?」という問いかけに対し「最初は心で歌い、次は足の先で歌った」と言っていたうちの子でしたが、今年は芝居の台詞をふた言しゃべりました。まったく抑揚のない棒読みで、しかも伏し目がちだったので、どこから誰がしゃべったのかも分からないようなものではありましたが、昨年より確実に進歩を遂げていたので本当に感動してしまいました。歌は相変わらず歌いませんでしたが、それでも時々はフレーズの終わりだけは口を動かしているようには見えました。どうも、極度に恥ずかしいようです。他の子をみていても、ああいう場面では、一般的に必ず女の子の方がしっかりしていて積極的ですね。男の子は基本的にナイーブで傷つきやすく恥かしがり屋なのですよね(私みたいですね)。
(2月末には同志社グリークラブの「フェアウェルコンサート」がありました。…昨年)
…今年ももちろんありました。顧問代行として祝辞を述べたのですが、今年の卒業生は9人。苦労を共にしたという点で、5人の卒業生を送り出した昨年が、伊東恵司の1期生(勝手ながら)とするならば、この学年は2期生。この2期生の4年間がグリークラブにとっては苦しみながらも這い上がってきた4年間であったことを思うと、「よく頑張ってくれた」という気持ちでいっぱいでした。彼らが一回生の時の定演では、著しい人数の減少や、指導者の不在、OBとの確執、方向性の行き詰まり…といった問題を同時に抱え、日夜上級生と相談を繰り返していました。新生同志社グリーの創造を願って、今までに決して取り上げなかったようなアカペラ現代曲を取り上げたのですが(グスタフソン)、当時の1年生が今年の卒業生です。一年生にとっては大変だったでしょうが、結果的にはこの方向性が今のところ奏効し、同志社グリーも「力技の合唱」から「耳を使った合唱」に転換してきています。また、東西4連という世界での井の中の蛙になっている状況を打破すべく、「アンサンブルVine」という混声合唱団を(当初)同志社内に作って、合唱の楽しみを広げることなんかも試みましたが、卒業生のうち2人がここの主力メンバー。もう一人は「なにコラ」に入れ、もう一人は京都の合唱連盟に送り込むなどして、同志社グリーの中だけで小さく完結しないように工夫をしました。(もちろん学生と相談しながらのことです)その9人が、本当によくハモるし、楽しそうに歌ってくれるので、感激しました。
ともすれば体育会系で「燃えつき症候群」の罠に落ち込むグリーメンたちが、かくも楽しそうに「音楽」をしてくれていることに、落涙の思いでした。
話は変わりますが、フェアウェルというともう一つ思い出すのが、私の師匠の福永陽一郎先生のことです(PLAZA45号(2000年1月)を参照。Webでも見れます)。
私の卒業のフェアウェルコンサートの1週前に亡くなりましたので、2月というと寒梅、同志社、フェアウェル、、、福永先生、、という具合に連想して、自分の故郷を振り返るようで涙が出そうになります。
その福永先生が創設した合唱団でもあります「法政アカデミー合唱団」とのジョイントが迫ってきました。福永陽一郎はアマチュアと学生合唱にのめり込み、多くの人に愛されながらも権力や型にはまったことが嫌いで、いつも生命をかけて意欲的でした。晩年は透析の日々でしたが、それでも音楽と合唱に人生の全てを捧げておられましたから、私などは、福永陽一郎の指導(というか生きざまを目の当たりにした)を受けたものの責務として音楽を続けているようにも感じることがあります。
こんなにも大切で豊かなものをたくさんいただいた以上、これを多くの人とシェアしていくことが自分の使命なのではないか、、、と考えることがあります。
法政アカデミー合唱団は、福永陽一郎の指導のもと、全日本合唱コンクールでは大学の部で最初に金賞をとった混声合唱団です。(以後3年連続金賞受賞。その後は日本全国を演奏旅行で回り、地元の優秀な合唱団とジョイントをして刺激を受けることを活動の中心に据えている。) 当時は大学の混声合唱団など、「男女交際の場」という雰囲気もあり、福永先生としては、混声合唱こそ多様な音楽を実現し得ることを示したかったし、大学の混声合唱団活性化のきっかけのために、、という気概をもって合唱団作りとコンクールに取り組まれたという話を良く聞きました。
亡くなるまで大切にされていた学生合唱団が「同志社グリークラブ」と「西南学院グリークラブ」と「法政アカデミー合唱団」でしたが、そのひとつの合唱団と、先生が亡くなってから12年後に巡り合うことになることについて、何となく嬉しく暖かい気持ちさせられてしまいます。
メールで流したことがありますが、福永先生を介して少し付き合いのあった法政OGの鎌田さんからのメール掲載しておきます。
『3月には、現役の演奏旅行で賛助出演してくださるそうで、ありがとうございます。現役との連絡係りのようになっている方から、そのようになりそう、と伺っていましたので、 もしかすると、伊東さんのところかな、と思っておりました。鷲崎さんからもお便りをいただき、とても嬉しく思っています。
それにしても、福永先生が亡くなられて、もうすぐ12年。現役の皆さんは、もちろん、福永先生のことは全く知らないわけで、 先生を今でも慕っているOBとの間に少々ギャップがあるのも現実です。それでも、先日、連絡係りを通して、現役の大阪担当マネジャーに伊東さんと鷲崎さんからのお便りの話しをしました。 こんなふうに、待っていてくださるのよ、ということを伝えたかったからです。
演奏旅行の間は、京都エコーの浅井先生が、現役を振ってくださるそうです。
いい演奏会になりますよう祈っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。』
…福永先生を最初に同志社グリーに招聘したのがエコーの浅井先生(同志社グリークラブ第31代学生指揮者)。伊東は最後の弟子(第58代学生指揮者)
がんばって、良い演奏会にしましょう。
P.S
この演奏会が、4月以後の「よどこん」自体の構造強化につながって行くことを心か
ら願っています。ぜひ、夢をもってよどこんの活動に取り組んでみましょう。常時80名のオンステ団体にしてしまうと、シンフォニーホールでの演奏会を実現出来るかもしれません。
ぜひ、、、「よどこん」で良い音楽を作ることに気持ちを傾け、積極的に「音楽作り」や「運営」に関わっていただけるメンバーが増え、「よどこん」自体がひとつの大きなエネルギーを持てればよいなあと思っています。。そうすると合唱界も大きく変わりますよ。。
合唱祭でアピールしたり、コンクールで音楽と格闘することにも積極的でありたいですが、何より音楽や合唱の「豊かさ」、アプローチや楽しみ方の「多様性」について自覚的な若々しく生き生きした合唱団になりたいです。この3年間様々な指導者を客演で迎えた(る)ことを我々の糧にして、大阪を代表するような立派な合唱団に成長していきたいものです。
ぜひ新しく加わってくださったメンバーも一緒になって、もっともっと仲間を増やし合唱団を作り上げていきましょう。
●REPORT● |
「舞台裏にて〜法政マネージャー君の大阪奮闘記」
(レポーター:Alt. U.S)
今回縁あって、法政大の大阪公演担当マネージャー君お二人を、我が家にお迎えする事となった「なんちゃって女将」こと私が、彼らの生活をちょこっと公開したいと思います。
はじめに二人をさくっとご紹介。
長身で強そうな(?)彼は3回生、東京出身のベースのN君。話し声からしてローベース系の「ええ声〜」ですが合唱は大学からで、それまではサッカー少年だったそうです。
もうお一方、学ランが妙に似合い過ぎの愛くるしい彼は埼玉県出身の2回生、テナーのS君。彼も合唱は大学から。二人とも礼儀正しくてシャイな好青年で、ウチの子供たちもすっかりお気に入りで、隙あらば彼らの部屋に潜り込んではお母ちゃんに怒られています…。
運営システムについて少し。彼らの遠征費は現在「自腹」。今回の大阪担当に備え、睡眠時間を削ってバイトに励んで捻出したそうです。演奏会での収入は、チケット売上とパンフ掲載広告収入の2本のみ。これを彼らたった二人で稼ぎ出そうというのです!それで会場費から印刷、謝礼その他諸々支出の全てを賄います。彼らの「活動費」…交通費やらコピー、通信費、生活費等は清算後そこから支払われる事になります。
ただ「不況の波」が彼らにも暗い影を落としてまして、近年広告を取るのが大変難しい状況で、このシステムももう限界ぎりぎりらしいです。
先日住吉君がスーパー袋を抱えて情宣先の高槻から帰って来ました。中身は卵、十個以上はあったみかん、納豆、お菓子…どこで買ってきたのかと思ったら「情宣先で日常生活の事を聞かれて話したら、ご婦人の団員さんが『これ持って帰って食べ!』って自分の買い物を全部くれた」そうです。思わずクスッのエピソードですが、本音としては「同情するならモノよりチケット買ってよ」だろうね(苦笑)。
卵は私が料理してちゃんと食べて頂きました、念の為。
そして特筆すべきは、皆さんも驚かれたであろう彼らのコスチューム。 主にOBさんや後援会を広告取りにまわられているN君、そして学生及び一般合唱団での情宣及びチケット担当のS君…3回生が広告、2回生が情宣という分担は代々受け継がれている〈伝統〉だそう…の「営業ユニフォーム」は今や珍しくなった、橙色のHの字の校章も眩しい詰襟学生服姿(思わず「萌え〜」なのは私だけか?)ですが、これも彼らの〈伝統〉なんだそうです。最近では中高でもブレザーの制服が多く、中君も大学で初めて学ランを着たとの事(そんなケースの為に団持ちが何着かあり、彼はそれを着用)。このスタイルで情宣に行くと特に高年齢層にはウケがいい?らしくチケットがよく売れるとか。ただ「大阪人はケチだからチケット売れないかもよ」と心配されるムキも…うーん、笑えぬ。
このように仕事を分担しているので、二人は基本的に朝から別行動。それぞれのアポに合わせて「駅ナビ」片手にお出かけされ、帰宅もバラバラです。大体夜に練習する団体は9時頃まで活動するので、情宣は必然的にそれから、って事になりますよね。OBさんの場合も同様ですが、帰りにお食事や飲みに連れていって頂ける「ラッキー」も時々あるみたい。
その合間に彼らの秘密基地?お部屋にお邪魔すると…
大量の紙類(チラシに封筒、パンフ、計画表に名簿など等)と生活用品に埋もれて黙々と作業中。電話攻勢で打ち合わせ(携帯電話が普及してなかった頃ってどうしてたんだろ?)、アポ取り、案内状の作成、コピーに送付(…すっかり駅前のミニストップの常連さんになってしまってます)と超多忙。
それにつけてもマネージの仕事の細かさ、煩雑さ、大変さ、気苦労、、、今回彼らの側にいてつくづく感じます。それを逐一書き出せばPLAZA一冊それで終わってしまうのでここでは省きますが、知らない土地で、家にいてる時間も遅くまで仕事して、正直ストレスたまるやろうね。本当に企業の営業マンとやってる事は同じです。今まで「外政ってタイヘンなんやで」って聞かされても「ふ〜ん」で終わってた私のアサハカさ、ちょっと反省です。
演奏会が無事開かれるその日迄に、彼らを含め一体どれだけの人間が、どれだけの知恵と工夫で協力し合うのか。計画表等で流れはわかっていたつもりですが、間近でそのお仕事ぶりを垣間見る機会を今回与えられ、大変勉強になりました。
裏方さんあってこその歌い手です、彼らの為にもホール一杯、満員のお客さんととびきりの素敵な音楽で満たしたいと思いました。ここはいっちょかましましょかー!
(気合入り過ぎ?いえいえ、これが自然体なの)
●投稿● |
宿題の答え
は、「携帯電話禁止」。しかしだ。このマークには文字も無く、およそ禁止する気が感じられん。案の定、寝台用の梯子に男が一人もたれて悠々と電話しとったぞ。大体この旅行中かの国でハッキリ「○○厳禁」と大書している表示な〜んぞ見たことがない。(読めないだけなのだが)
その一方で、バスの中にまで検札が来た。なんか釈然としないんだけどな。
ブリュッセル
話はパリをすっ飛ばしてその次へ行きます。
パリから新幹線Tharysで一時間強。峠越えでもないのに、牛や山羊の小規模な放牧が目立ち、ベルギー国境を超えた変化は意外とハッキリ判る。間もなくブリュッセルに入る。違う表情の家屋が横に十何軒もくっついている独特の家並みが見えてきた。
「この家並み、(舞台の)『書割』みたいやなあ」遠目に見ると、何となく平面的に見えるのだ。
ところが、街の中心Grand Place/Grotemarktの建物は、壁や柱から守護神像が何百も張り出しており(何形式って言うのかその辺を全く知らないのが悔しいが)、これプラモデルにしたらパーツ数多いぞ、と妙な感心をする程立体的である(写真)。この地、戦争の影響は免れなかった筈である。この建物の修復は困難だろう。それを「書割」などと…マッタク失礼しました。
言語混沌の街
中学か高校の地理の授業で、ベルギーの公用語はフランス語系とオランダ語系(ワロン語とフラマン語って云うのかナ)で、ブリュッセルではこの二語を完全に公平に扱う、と習った覚えがある。
確かに駅名は時々左右を替えて表示していたし、テレビは画面まで含めて二カ国語である。例えばテレビのコンサート情報は同じ内容をフランス語とオランダ語で繰り返して放送していた。
中心街を歩きながら、多分20人ぐらい現地の人と何らかの話をしたが、フランス語を話す人がどうやら多数。僕の体験では、店で英語が通じないことパリ以上だった。英語だけ喋る住人が少しいた。(これでやって行けるのだろうか・・・)ドイツ語を話す人に会わなかったのは覚悟していたが、不思議な事にオランダ語が聞こえない。おかしい。これは商店で試してみよう。
といってもベルギーに来ると最初は思っていなかったから、極めて怪しい予備知識しかない。これは例えば次のような事である。
英語 Thank you!
オランダ語 Dank u!
ドイツ語 Danke!
つまり英語とドイツ語の中間。(???)
そこで適当にGood morningとGuten Tagを混ぜてスーパーで"Got tag!"と言ったら通じなかった。後で調べて見ると正解は"Goeden dag!"だった。
マクドナルドでは、レジ待ちの列で他の客と少し話をしたが、ここでタイミング良く「ベルギー来たら絶対訊かな」と温めていた質問を思い出した。「あ…時に、ロベルト・ヴリーゲンと言う人を知っているか?」残念ながら答はノーだった。全くお手上げと言う感じだった。
この街で気付いたことの一つは、他人が良く話しかけてくる事だ。例えば市電の中で、「キップはどこで買えばいいのですか?」と僕を旅行者と認知した上で訊いて来る。(まさか現地人とは思われていないだろう。)
相席にも全くこだわりが無い。TPOにも依るのだろうが、ホテルの朝食でも「席空いてますか?」と遠慮無く訊いて来た。
程々に引っ込み思案な人には良い街かもしれない。
ホテルで会った人は、英語だけ話す人が多かった。この理由は、ホテルに泊まる人が外国人だからだろう。例えば、朝食のテーブルで一緒になったのは女子学生二人で、アルメニアおよびラトビアの首都リガの出身、現在ウイーン大学在学、ブリュッセルへは会議出席のため、という長距離移動である。大学の勉強や国際会議は英語が使えればよく、ウイーンに居ながらドイツ語は使えないらしい。
初対面だと大体「どこに住んでるの?」というところから会話が始まるが、通りが良い様に神戸の近くと言えば、リガの人は神戸の名前を知っていた。リガと神戸は姉妹都市なのである。
住所を教える時、通常の書き方は"・・・, Kakogawa, Hyogo JAPAN"だが、これだとどれが都市名かイメージできないので、Kakogawa-cityと書くようにしている。「えっ!加古川が"city"??」などと無礼な事は言わない様に。
ベルギーと言えば
土産の類が一番面白かったのもここ。ヨーロッパの首都を自認するだけあって、やたら多かったのがEUネタ。置いている絵葉書も下のような具合で、各国共思い切りコケにされている。あと二ヶ月で発足とあって、ユーロ関係も多かった。
要するに、住民の話す言語は地域により4〜5であるが、ビジネスに関しては「他国も含めてこの際まとめて面倒見ちゃる」と言うメンタリティーがあるようだ。ここで買った2002年の手帳には、日本を含め世界60ヶ国の祝日が網羅されている。成人の日はキッチリ1月14日の月曜日になっていた。
後日談
年末年始、私が同じブレザーを着ていたのは、ワインをパリから日本に送る時、緩衝材が足りないので二着目のジャケットをエイッと脱いで箱に詰めたら、1本割れて酒浸りになったからです。
★終わり★
●PLAY● |
Nietzscheたいらちゃんの
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第8回「エデンの東」
梅香る季節になりました。大阪城公園の早咲きの梅は満開ですね。ここ数年、春の来るのが待ち遠しくて仕方ありません。(ナントカのせい@^-^@)ああ、桜はまだかしら〜。
みなさまお久しぶりでございます。当コーナー、連載終ったと思われていた方もいらっしゃるとおもいますが、残念ながら(?)また当分、お付き合いのほどお願いいたしますっ。
2002年、私がみた最初の一本は、この青春運映画の金字塔です。ジェームス.ディーンの名を不朽のものにしたこの名作をこの度初めて観たのですが、確かにスクリーンの中の彼は、世界中の人々を熱狂させるだけの絶大な魅力を放っていたのでした。それは風貌が良いとか足が長いとかそういう次元の話では全然ない!ポスター等で見かけるジェームズ・ディーンをかっこいいと思ったことはありませんが、映画の彼は全然違って、まさにきらきらと輝いているのです。その輝きは、ひとつ間違えば深い傷を負わせてしまう鋭利な刃物のような、派手ではないけれども非常に妖しく危うい輝きでもあります。その輝きに触れたが最後、宝石ごときなんて、ただの石ですわ!!(でも貰えるなら欲しいわ)
彼が出演した作品は、無名時代のノン・クレジット作品を除いて、「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の全3本だけだそうですが、まさに「若さ」というものの意味すべてを、ただスクリーンの上に焼きつけて去っていった、永遠のスターですね。
ではストーリーから。
1917年モントレーの町はずれ。
農場を経営するトラスク一家には、厳格な父親アダムに男手ひとつで育てられたアロンとキャルという双子の兄弟がいた。 兄のアロンは成績も優秀、性格も温厚な父親のお気に入りだが、弟のキャルは落ちこぼれの暴れん坊で、父親も彼には手を焼いていた。アロンには婚約者のアブラがいるが、キャルには恋人もいない。彼は誰からも愛されず、孤独を癒す術も知らない。酒場へ入り浸って悪い友達とばかり付き合うキャルは、そこからひょんな情報を得る。死んだと聞かされていた母親が実は生きていて、隣町で売春婦をしているというのだ。
早速真偽を確かめに行くが、取り合ってももらえず、それどころか手ひどく追い返される。その仕打ちにキャルは、彼女が母親であることを直感的に悟る。「自分がこんなに悪い人間であるのは、この母親に似たからだ。自分は間違いなく母の血を引いているんだ。」と。
そんな折、父親が事業で失敗し、トラスク一家に突然財政難が生じる。
キャルは、父の損害を取り戻すことで愛を得ようと、母親から借りたお金で大豆の先物を買う。折しも戦争で大豆の値は高騰し、キャルは多額の利益を得る。そして父親の誕生日プレゼントとしてそのお金を差し出すのだが、「汚れた金だ」と、冷たく拒否されてしまう。
深く傷ついたキャルは、怒りの矛先をアロンに向け、彼を売春婦の母に会わせる。そしてアロンも深く傷つき・・・。
原作は、「怒りの葡萄」等のジョン・スタインベック。旧約聖書のカインとアベルのストーリーがモチーフとなっています。いうまでもなく、カインとアベルはアダムとイブの間の子供で、カインによるアベル殺しは人類最初の殺人事件となります。
「カイン土より出る果実を持ち来たりて、エホバに供え物となせり。アベルもまた其羊の初生と其肥たるものを携え来れり。エホバ、アベルと其供え物を顧みたまひしかども、カインと其供え物をば顧みたまはざりしかば、カイン甚だ怒り、かつ其の面をふせたり」
創世記の一節です。神エホバは、アベルの供え物を受け取り、カインの供え物を拒んだ。つまり、「信仰によってアベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、それによって彼が義人であることの証明を得た(聖書:ヘブライ人への手紙 11章4節)」のです。かくしてアベルは、自分の兄弟カインから憎まれ、殺されることとなった。 アベルの死は人類最初の義人の死であり、また殉教の死であったゆえに、アベルは聖人となり、カインはエデンの東に追放されるのです。(聖書:創世記 4章より)
神エホバがカインからの供え物を拒んだ理由については、「カインはアダムの子供ではなく、蛇に化け、エデンに進入した魔王ルシフェルとの子供だったから」という解釈があります。つまり、魔王からの供え物とみなされ、拒まれた。スタインベックはこの解釈を、伏線として用いています。彼の原作では、弟キャルが兄アロンを破滅に追いやりますので、一般的な「加害者=カイン=兄、被害者=アベル=弟」説とは逆になっていますが、父親がキャルの贈り物を「汚れている」として受け取らなかったのは、元はといえばキャルが売春婦の母に無心して借りたお金が元本なのですから、敬虔なクリスチャンにとっては当然の「正しい行い」と捉えることもできるでしょう。
因みに、このカインとアベル、どちらが兄でどちらが弟であるかは、聖書には明記されていないとする説もあります。
さて、ストーリーの終盤です。
アロンはショックのあまり泥酔状態で兵役を志願し、狂ったような姿で去ってしまう。そんなアロンの無惨な姿を見た父親は、脳卒中で半身不随になる。
キャルは、父親に許しを乞い、家を出て町を去ることを決意する。キャルの良き理解者であるアブラは、意識も朦朧の父親に懸命な説得を続け、ついに父と子は和解するのだった・・・。
「若さとは、一種の残酷さである」とは誰かの言葉ですが、蜜と毒をどうしようもなく併せ持ってしまうのが若さだとしたら、その存在自体が罪になってしまう。そんな自分の“存在の矛盾”に気づく繊細な者ほど、自分自身を傷つけてしまうのかもしれません。自分をとりまく諸々を受け容れ、全てを許してしまえば楽になり、しあわせになれる。そうなんですけど、許せるようになるまでがほんとうに大変なんですね。
父の愛を何とかして得ようとして、大きな罪をおかしてしまったキャル。そして自分の罪の重さに気づき、最後には父の愛を獲得したキャル。
ラストシーン、アブラがキャルの父親を説得する言葉がとても美しいです。
「愛されないほどつらいことはありません。愛されないと心がねじけてしまいます。」
人間が生きていくのに必要なのは、最終的には愛なのでしょう。
若さゆえの残酷さ。そして、若さゆえの純粋さ。そういった全てを、初々しいはにかみや哀愁を帯びた戸惑いで表現し、観るものを惹きつけてやまないジェームス・ディーン。彼は1955年、撮影所内で愛車のポルシェに乗って激突し、この世を去っていますが、その生き急いだような生涯は、まさに輝ける短刀のようです。思うに彼は、この「エデンの東」のキャルを演じるためだけに生まれてきたのではないか、この名作によって世界中の人々に感動を与え、愛の大切さを訴えつづけるためだけに生まれてきたのではないか、とさえ思えるのです。
●わたしのこの一枚●
モ−ツアルトの歌曲『春へのあこがれ』K.596
(【EMIclassics】モ−ツアルト歌曲集 Sop:Schwarzkopf,piano:Gieseking )
1791年ウイ−ンで作曲。オ−ヴァベックの詩による。
「早春賦」を何処か思い起すような清純で美しいこの曲は、春を待つ子供の心のときめきが伝わってくるようで、無邪気な楽しさに満ちている。
可愛らしいリトルネルロのついた民謡風の旋律は、実際に民謡に由来するものらしい。伊東さんも言われたように、この旋律は「隠しメロディ」として「早春賦」の間奏に導入されている。
原曲の『春へのあこがれ』では、
〜Komm, lieber Mai〜 Ach, liebel Mai〜
と幾度となく歌詞の中に出て来るように、「春へのあこがれ」と云っても「春」はここでは「五月」。「早春」とは少し季節感のずれはあるかもしれないが、すみれの花の咲く季節を、鶯や郭公の鳴く春を待ち侘びている気持を歌っているのには変わりない。
そして、この曲を私の好きなシュワルツコップ(Sop)が愛らしく生き生きとそして知的に歌っています。
ギ−ゼキングの淡々とした伴奏も小憎らしいほど。(古くはLP版もありました)
でも、このさりげない旋律が、モ−ツアルトの最後のピアノ協奏曲(k.595)の終楽章に現れ、特殊な情感を生み出しているのも不思議な気がしてならないのだけど・・・。
『春へのあこがれ』のほかに「春のはじめに」「夕べの想い」「すみれ」「クロ−エに」など17曲が収録。何処かで聴いたことのある曲がきっとある筈。
モ−ツアルトファン,シュワルツコップファンには是非お勧めの1枚です。
Alt. かわぶっち
大阪府合唱連盟21世紀ビジョン(最終回)
5.4 21世紀における大阪府連の役割
21世紀の日本の姿、合唱の姿を踏まえて、大阪府連はどうあるべきかにつき、提言を行う。
・分散協調型ネットワークの拠点
「まず大阪府連ありき」という、「上から下へ」の「画一的」な発想ではなく、大阪府下のさまざまな合唱団が、大阪府連を媒介として、さまざまなネットワークを構成し、それらが相互に影響し合いながら全体としてのエネルギーを高めていくという発想、つまり「触媒機能」を有する「キーステーション」として機能していくという発想が重要である。
すなわち加盟団体の負託により、「分散協調型ネットワークの拠点」として大阪府連が存在する形態へと自らを変革していく必要があろう。
また同時に、一方で加盟団体は、「大阪府連は自分たちに何をしてくれるのだ」というお上頼みの発想ではなく、まずしっかりと自立し、さらに同好の士が協調してネットワークしていくための拠点として大阪府連を主体的に運営していこう、という発想へと転換していくことが求められよう。
・不確定な時代における合唱界の羅針盤
社会全体が大きな地殻変動を起こそうとしている21世紀。合唱にとっても激動の世紀である。古い体質から脱皮できないものはやがて自己崩壊を起こす。かと言って、新しいモデルが見えているわけでもない。そのような不透明な時代において加盟合唱団はひじょうな不安にさいなまれるに違いない。
そのような時にこそ、大阪府連は地域の合唱界の発展のために、より高く広い見地から複数の道程を示し、加盟団体の羅針盤として貢献していくことが求められている。
・新しいモデルを創造していくためのインキュベーター
新しいモデルを模索することはリスクを伴うことであり、個々の合唱団が独自に実施していくには限界がある。そこで大阪府連は、文化庁などの文化行政団体、メセナなどとも連携して補助を受けながら、インキュベーターとして、加盟合唱団と協力しながら、新しいモデルを模索していくことが求められる。
なお、既存の制度としては、芸術文化振興基金では、「先駆的、実験的芸術創造活動」に対して、平成12年度では57件、5千万円の補助がなされている。
[incubator]
〔保育器、孵化器の意〕ベンチャー.ビジネスを軌道に乗せるまでの施設・機器・資金などの援助を行う場。
・合唱文化振興のためのさまざまな事業のプロデューサー
大変革の時代において、大阪府連はさまざまな「種まき」をする必要がある。インキュベーターもその一つであるが、前節で述べた「21世紀の合唱の姿」を明確化していくためのさまざまな事業を「プロデュース」していくことが重要である。
これは単にイベントを実施することとは全く意味を異にする。中長期ビジョンにもとづき、連盟内外の資源を適材適所に起用しながら、一種のオピニオン形成を目指した総合制作活動である。
・地方自治体との連携拠点
「統治からガバナンスへ」への移行が進むなら、地方自治も大いに変化してくるはずである。合唱と地域の関わりはずっと深くなってくるとかんがえられる、むしろ大阪府連は、市町村、さらには広域行政に対して、より積極的に連携拠点としての機能を担っていくべきである。
・府下の合唱情報の集積拠点(データベース)
大阪府連は、府下の多数の合唱団の交流拠点である。したがって、個々の合唱団の現状や音楽のめざしている方向、演奏会の記録(プログラム、録音)など、各種の情報をデータベースとして集積しておくことが望ましい。
物理媒体の保存には独自の事務所スペースが必要となり、費用面での問題もあるが、デジタルライブラリーにした場合は、ディスクスペースだけの問題である。アクセスはインターネットを使えば、家庭からでも可能である。また大阪府連のコンピュータに全ての情報を蓄積しておく必要はない。情報の標準交換形式さえ規定し、あとはネットワークを利用して、協力団体などによる分散運用も可能である。
このデータベースを情報源とすることにより、羅針盤、インキュベーター、プロデューサー、あるいはネットワーク拠点としての役割を、より高付加価値化することが可能となろう。いわば大阪府連のインフラとして整備する必要があろう。
とは言え、物理媒体の存在はまだまだ貴重である。これ
については関西以西の府県連と連携し、現在、東京にある全日本合唱連盟の合唱センターに続くもう一つの拠点として「第2合唱センター」を整備することが望まれる。
5.5 当面の10年でめざすべき方向
前節で述べた長期ビジョンにもとづき、当面の10年間程度をターゲットにして、何をしていくべきかについて提言したい。
・児童合唱団との連携
少子高齢化の流れの中で、いかに多くの児童が早い時期に合唱にかかわりを持ってくれるかが、21世紀の合唱界にとってきわめて重要な課題である。特に、児童合唱団が、学校の枠を超え、地方自治体の枠組みで運営されている点も、今後、中学.高校という学校の枠組みを超えたシニアとの関連を考えると貴重である。
「ジュニア部門」を設置し、ジュニア向けのイベント、講習会などを実施していくべきである。また会費も一般と同額ではなく、より低額で加入を促進すべきであろう。
既存の関連団体とも交流を深めながら、府連行事、地域、草の根レベルなど、さまざまな形で、相互交流を積極的に推進していく必要があろう。
・中高の合唱部顧問や音楽教師などの個人資格による大阪府連加盟の体制づくり
現在、大阪府連は合唱部単位でしか加盟できないが、前述の通り、中高の合唱部がきびしい状況にある現在、中高の合唱部単位での加盟を増やすことは容易ではない。しかし、合唱部はなくても、校内合唱コンクールを担っている教師や音楽の授業を担当している教師の中に、合唱への情熱を持っている人はたくさんいる。
そこで、そのような教師に個人資格で大阪府連に加盟してもらい、例えば大阪府連からは校内合唱コンクールに向けた合唱指導ノウハウを提供し、逆に中高からは、優秀なクラスの演奏を大阪府連の行事において披露してもらうなど、相互協力することにより、中高の合唱を盛り立てていくことが望まれる。
・中高の音楽教師で構成されている音楽教育研究会との連携
中高の音楽の授業を担当している教師は、教育委員会の管轄下で「音楽教育研究会」(通称:音研)を組織して活動している。地方においては、この音研と合唱連盟がタイアップして、ジュニア、中高向けの合唱の普及活動に取り組んでいる事例があるが、大阪においては、現在、全く接点がない。
前述の通り、中高の合唱部がきびしい状況にある現在、大阪においても音研との情報交流、人的交流などを徐々に進めながら、講習会や音楽会の共同開催など、さまざまな分野での連携の可能性を模索していくことが望まれる。
・中高の教育行政に対する合唱界発展の支援要請
中高の教師の中にも、合唱に対して強い情熱を持ち、合唱部を指導している人がいる。しかし人事異動により、合唱部と教師の双方が一挙につぶれるというケースが後を絶たない。ジュニア、中高の合唱は、日本の合唱の未来に直結していることを考えると、このロスはあまりにも残念であり、大阪府連から地方や国の行政機関に対して、積極的な働きかけを行っていく必要がある。
また、一方で少子化の影響から中高の教室に空きが生じつつある。それを練習場に悩んでいる地域の合唱団に対して開放してもらうよう、行政機関に働きかけていくことも重要である。
・中高の学校という枠組みを外した地域の青少年合唱団への取り組み支援
中高の学校内で合唱部が存続しえない場合は、複数の中高の生徒が集まって地域の青少年合唱団を結成するという選択肢もある。その受け皿づくりを大阪府連が支援するという取り組みも一方で必要であろう。
・大学合唱団の活性化に向けた支援
前述の通り、大学の合唱団は危機的状況にある。大学合唱団の衰退もまた、一般、職場、おかあさんなどの部門へ波及するのであり、これも焦眉の課題として取り組まねばならない。
支援策としては、大学部会運営の再構築、元気の良い合唱団の事例研究、技術系講習会、運営系講習会、大学間(インターユニバーシティー)合唱団の模索、一般合唱団との交流、大学当局への協力支援などが考えられる。
・シルバー合唱団の育成
高齢者による合唱の取り組みはすでに行われつつあるが、指導者の育成、ふさわしいレパートリーの開拓など、克服すべき課題は多い。個別合唱団での取り組みには限界があることに加え、高齢化社会における重要課題であるのだから、大阪府連レベルでのインキュベーター的取り組みが望まれる。
・既存の枠組みを超えた連携強化
大阪府連内部においては、中学部会、高校部会、大学部会、職場部会、おかあさん部会など、各部門内部での交流はある程度、行われているようである。今後はそれを拡大し、合唱祭などの機会を利用しながら、部門間交流を深め、異なった世代から新しいものを吸収し、それをエネルギーにしていく必要があろう。それにより世代間の引継もよりスムースになる可能性がある。
さらに近隣の合唱連盟との交流、海外の合唱組織との交流、あるいは隣接する音楽領域の団体との交流などについても、可能なところから推進していく必要があろう。
・インターネットを利用した情報交流機能の強化
2000年度に遅蒔きながら立ち上がった「大阪府合唱連盟ホームページ」を加盟団体の交流拠点としてさらに整備、運用していくことが重要である。「分散協調型の組織ネットワーク」のインフラとして、これほど格好のものはない。
アンケート結果にもあったように、「加盟団体の演奏会情報の提供」と「公開練習」は加盟団体が望んでいるベスト2である。これらは印刷物の郵送による周知は事務的.経費的に困難であり、インターネットによる提供でしか実現できないであろう。
ただし、情報をますます充実しながらスリムな事務局のまま行くためには、分散運用が不可欠であり、加盟団体が自ら情報を登録する、あるいはリンクをはるという操作が求められる。その際には、匿名性を利用した悪質な情報を排除するために、加盟団体にIDやパスワードを発行して、自己責任で管理してもらう体制が不可欠である。
インターネットにアクセスできる人とそうでない人との格差、いわゆる「デジタルデバイド」の問題もあるが、大阪府連が非常に限られた人.物.金の資源で運営されている以上、インターネットの活用は、もはや不可避であろう。
・多様化する合唱の現在を提示するショーケースの開催.展示
日本国内、世界にアンテナをはって、多様化する合唱の現在を提案していくショーケースを開催・展示していく。内容をしっかりとプロデュースし、加盟団体、外部(連盟非加盟団体、他府県、海外)の団体による演奏、識者による講演会・講習会、CDやビデオ、DVDの視聴、インターネットの活用法などを組み合わせていく。
・委嘱活動
時代に影響されない普遍的要素の強い合唱曲ももちろん存在する。しかしながら、合唱曲は器楽曲よりもテキストを伴う分だけ、器楽曲よりも社会との結びつきが強いという側面もあろう。社会がかわるとそれを反映したテキストが誕生する。したがって、伝統的な合唱曲を大切にしながら、常に新しい合唱曲を精力的に作り続けていく必要がある。
しかしながら、現実的に委嘱活動を行うことができる団体は限られてくる。そこで、大阪府連がさまざまな資金を活用して、多くの合唱団が共感し、かつ技術的にも可能な曲を継続的に委嘱していく。
特に、資金的な裏付けが乏しいジュニア、中学、高校、あるいはこれから立ち上がってくるであろうシルバー、地域を基盤とした合唱団、部門横断的な合唱団などがこれを必要としている。
おわりに
「大阪府合唱連盟21世紀ビジョン策定プロジェクト」設置が個人理事会において承認され、ワーキンググループが発足したのが2000年の5月である。以来、ほぼ一年間をかけてワーキンググループおよび個人理事会において検討を重ねた結果が、本報告書である。
ワーキンググループは、さまざまなバックグラウンドを持つ人物で、なおかつ若手を中心にと考え、杉山理事長とご相談の上、前述の6名(木寺注:西岡茂樹、飯沼京子、伊東恵司、高嶋昌二、内藤正巳、松村修の6氏)で構成した。
それぞれ多忙な仕事を抱えながらも、「合唱の将来」、「大阪府連の将来」は如何にあるべきかに関して、常日頃から高い関心を持ったメンバーだったので、ワーキンググループの委員会の議論は、毎回、ひじょうに白熱したものであった。
そしてお互いのバックグラウンドが異なっていたが故に、各自の報告はお互いに実に新鮮であり、その結果、当初の予想以上の「合唱の現在」を認識することができたことは、大きな収穫であった。
本報告書では、現状調査と問題分析を踏まえ、最終章において「21世紀における大阪府連の役割」と「当面の10年間でめざすべき方向」を提言した。
もちろんこれですべてが言い尽くされているとは思っていないが、一応、基本線についてはおさえることができたのではないかと考えている。
とは言え、「21世紀」という大命題はとてつもなく大きく、浅学の身に余るものであったことも事実である。多くの方々のご批判とご教示を心よりお願い申し上げる次第である。
なお、本報告書は、あくまで「ビジョン」の提言に留まっており、大事なことは、今後、それをどのように具体化していくかである。
これについては二つのプロセスを同時並行的に推進していく必要があると考えられる。
第一には、大阪府連の理事会において、これらの提言に優先順位を付け、現実の制約条件を勘案しながら、それらを年次計画に展開して実行していくことであろう。時間との勝負とも言える優先順位の高い課題に対しては、複数のプロジェクトチームを同時に立ち上げて取り組む必要がある。
なお、すでに「合唱祭改革プロジェクト(仮称)」は、2002年度を睨んで活動を開始しており、2001年度の合唱祭にも、一部、前倒しで新しい企画を組み入れて準備が進みつつある。
第二に、大阪府連という組織だけでなく、加盟団体それぞれが自発的にこれらの課題に取り組んでいくことである。5章(木寺注:1月号掲載分)でも述べたように21世紀は「個の時代」、すなわち「一人一人の歌い手」、「各々の合唱団」が自立すると共に、それらが自らの意志でさまざまなネットワークに参加するという分散協調型の社会になっていくことが期待されている。本報告書の提言に対して「大阪府連が何をしてくれるのか」ではなく、大阪府連を構成する「各加盟団体がそれぞれの立場で何ができ、相互に協調しあうことにより何ができるのか、合唱界に何が貢献できるのか」を考えることは、その意味で重要である。
「21世紀日本の構想」のサブタイトルは「日本のフロンティアは日本の中にある」−自立と協治で築く新世紀−となっている。
大阪府連のフロンティアは、大阪府連の中に、そして加盟団体の中にあることを信じて疑わない。
2001年4月14日
大阪府合唱連盟21世紀ビジョン策定ワーキンググループ
座長 西岡茂樹(大阪府合唱連盟理事)
(終)
※添付資料(アンケート集計結果)は省略します。
一年間にわたって掲載してまいりました「大阪府合唱連盟21世紀ビジョン」はこれで終わりです。
一見私たちと無関係そうなジュニアや中高の合唱の現在が、実はよどこんにとっても大きな意味を持つことをご理解いただけたと思います。そして伊東氏がよどこん以外の場へと活動を広げる意味も、ここにあります。
また、「大阪府連」を「よどこん」、「加盟団体」を「よどこんメンバー」と読み替えても、多くの記述が成り立つことにお気づきでしょうか。これらの提言は、よどこんの今後を考える上でも貴重な指針となりうるものと、私は考えています。(伊東氏がビジョン策定に関わっている以上、当然とも言えますが)
さあ、次号以降の合唱連盟便りのネタをどうするか、それが問題だ。
How do you do? |
こまっちゃんの
●How do you do?●
いろいろとお騒がせだったソルトレーク五輪も終わりましたね。日本は残念ながら銀1銅1でしたが,強豪がひしめく競技で入賞した選手にも感動しました。 五輪が終了したと思ったら,あっという間に3月です。法政大学との演奏会,がんばりましょう。
さて,今回の「How do you do?」は男性1名女性4名と大人数です。 この調子で,団員80名を目指しましょう。
※本コーナーはプライバシー保護のため、ONLINE版には若干の制限を加えています。
Infomation |
先日、現役大学生さん達とお話していてふっと気がつきました。わたしがコーラスを始めたときはこのひと達はまだ歩き始めて間もないか、赤ちゃんだったか、あるいはまだ生まれていなかったかなのです!20年以上も経っているんだから当然なのですが・・・今、そのひと達が青春の真っ只中を懸命に生きています。人間の成長ってすごいなあと思いました。コーラスを続けて来たわたしは、果たしてその間にどれ程成長したやら??でも、多くのだいじなひと達に助けられ、大好きなうたを続けてこられたことってすごく幸せなことです。まだまだ頑張らねば・・・
MARCH・3月 | ||
14・木 | 法政大学アカデミー合唱団関西演奏旅行京都公演
・・・合唱団京都エコーとのジョイントです | 京都会館第一ホール |
15・金 | 法政大学アカデミー合唱団関西演奏旅行奈良公演
・・・エコーフローラとクールシェンヌが賛助出演します | 奈良県文化会館国際ホール |
16・土 | 法政大学アカデミー合唱団関西演奏旅行大阪公演
・・・淀川混声合唱団が賛助出演します | 新大阪メルパルクホール |
26・火 | 京都府立西城陽高等学校合唱部 | 文化パルク城陽プラムホール |
28・木 | 大阪シンフォニカー合唱団・モオツアルト「レクイエム」
・・・テノールソロを小貫岩夫サンが歌われます | NHK大阪ホール |
31・日 | ジャパンユース合唱団 | 神戸新聞松方ホール |
APRIL・4月 | ||
21・日 | アヴィス・リベラと女声合唱団はづきジョイントコンサート | 神戸新聞松方ホール |
28・日 | 九州フレッシュメンコアとコール・セコインデジョイントコンサート | 西宮市民会館アミティホール |
MAY・5月 | ||
11・土 | 第25回全日本おかあさんコーラス関西支部大阪大会 | 池田市民文化会館アゼリアホール |
19・日 | なにわコラリアーズ第8回演奏会 | 伊丹市立文化会館いたみホール |
26・日 | 東京六大学混声合唱連盟第44回演奏会 | 東京文化会館大ホール |
JUNE・6月 | ||
3・月 | 関西学生混声合唱連盟第33回定期演奏会 | フェスティバルホール |
15・土 | 第39回大阪府合唱祭(〜16・日) | コスモスシアター |
15・土 | 早稲田大学混声合唱団・同志社学生混声合唱団CCD交歓演奏会 | 長岡京記念文化会館 |
30・日 | 第51回東西四大学合唱演奏会 ・・・藤井宏樹先生が合同演奏指揮されます | ザ・シンフォニーホール |
かわぶっちの内政だより
(2002-2-21日現在)
・2月24日(日) 13時〜17時 ミ−ド
・3月10日(日) 13時〜17時 桜の宮ア−トホ−ル
・3月16日(土) (法政大賛助出演)
・3月24日(日) 13時〜17時 ミ−ド
・3月31日(日) 13時〜17時 相愛
・4月14日(日) 13時〜17時 すてっぷ
・4月20日(土) 18時〜21時 すてっぷ
・4月28日(日) 13時〜17時 ミ−ド
※場所・時間が変更される事がありますのでご注意ください。
いつも「編集後」とは名ばかりの、「次回原稿募集」お知らせ欄です。
次号5月号は、通常5月の第1回練習日の発行ですが、練習日は未定ですね。記事を書いて下さる方は、練習日をちょっと気に留めておいてください。原稿締切はその2週間前です。「こんな記事、書きたい。」と名乗りをあげて下さい。 宜しくお願いします。
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