さらなる飛躍へ!!
■よどこん3カ年計画始動
LINER NOTES
by Ito Keishi
ふと気が付くと夏が過ぎ、夜風に虫の声が染みてきています。 私にとっては20世紀梨の季節がやってきました。 今年こそは満月の日に「末富(すえとみ)…(知る人ぞ知る京の和菓子屋)」の団子を供えて(これがかなり高い!)過ぎ行く季節や生活感を噛み締めたいものだと思っていますが、最近考え事や気を配らないといけないことが多過ぎて、気持ちに余裕が生まれません。「人生に目的など求め過ぎてはいけない、日々の生活そのものが人である」と思いつつも、つい目標を定めた生活に縛られ、周りの風景に目を移す余裕がありません。 何とか余裕を持って良い音楽を熟成させられるようになりたいものですがね…。
ちょっと振り返っておきましょう。第11回目の演奏会はいかがでしたでしょうか。
嬉しい言葉もいただいております。 ホールに随分助けられましたが、一生懸命にやった結果ですから気持ち良く歌えたこと自体は大変素晴らしい成果であったと思います。 ただ、今後のことを考える上においては、我々は多くのことを潔く反省し、今度はその課題を克服するために生き生きと活動していかなければなりません。それは、100%の密度で歌えた訳ではないステージのことに限らず、「確実枚数」を大きく下回る「集客」に関する考え方を含めて(団員の意識、マネージングや取り組みの方法を含む…もちろんここは私の管轄ではないのですが、「音楽」と非常に密接して全員で受け止めるべき問題と思っている…)演奏会や合唱団の活動全般に渡ってのことと言えると思います。 私の耳には打ち上げの席上本山先生のおっしゃった言葉がいまだに響いております。
「アットホームなだけの合唱団からの脱皮」という課題は「まさしくそのとおり」というのが私の感想です。現在の「よどこん」に欠けているのはやはり、「積極性」だと思うのです。 つまり、「合唱団を盛り上げていこう」「自分達の努力して作り上げてきた音楽を多くの人に聴いてもらうために会場を満員にしよう(ちなみに満員であるということも名演のためには必要な条件と私は思っている)」「ちょっとでも良い音楽を作ろう」という積極性にはまだまだ欠け、合唱団から与えられる環境(…「曲」「ホール」「客演指揮者」等)のみに満足してしまっているような気がいたします。 かつて箕面のメイプルホールで演奏会をしていた時には、今のような環境は夢のような願いでした。 現在の関西の合唱団を見渡しても、これほど良い環境に恵まれている合唱団は少ないと思います。 合唱団を構成しているメンバー一人一人に「少しでも良いものを」という気持ち(=私は積極性と名づけていますが、人によっていろんな言い方をしています。全て同義語です)が溢れていれば、もっともっと良い合唱団に成長していくことが出来るのではないでしょうか。出席について、音程の取り方について、曲の理解について…全て、もう少しずつがんばることによって、もっともっと「よどこん」で過ごす時間が充実したものになるはずです。
さて、コンクールのことはともかく、また3年計画で「よどこん」の活動を考えていきたいと思っております。 本山先生の指導はとても適切で大変良い勉強をさせてもらったと思いますが、3年間続いた客演という関係をいったん絶ちたいと思います。これは、合唱団の中に芽生えてきている「なれ」を拭い去る意味を含んでおります。もちろん、3年間で培ってきた我々との関係を大切にし、今後もご指導、アドバイスいただける環境を確保していきたいとは考えております。 ただ、肝心なのは客演指揮者ではなく、我々がどういう志をもって道を切り開いていくかということです。 もちろん、私の最も大切にしている要素「情感のある演奏」「表情のある歌声」「何かが伝えられる演奏会」というテーマはどんな状況であれ崩れることはありません。それらのことを当然としながら、合唱団の基本構造を強固にしていく必要があるでしょう。(声、ハーモニー、合唱に対する考え方)
私の合唱全般に対する考えを整理します。 合唱コンクールそのものを否定するつもりはありませんが、関西の合唱界はどうしても「コンクール」を中心に回りすぎているような気がしています。高校生や、我々のようなレベルの合唱団が技術を磨く一つの目標にする場というのは理解出来、実際それなりの意義はある訳ですが、考えてみれば、硬直的な物差しで「芸術表現に点数を付けようとする」というコンクールに体重をかけすぎると「音楽」とか「合唱」の持つ豊かで魅力的な世界の様々な表情を削いでしまう結果にもなりかねません。実際、東京方面での合唱事情というものは、「東京カンタータ」を始め、脱コンクールから、プログラミングを工夫したバリエーション豊かな活動に彩られているように思います。関西には大型の老舗合唱団がたくさんありますが、その影を追っていくだけでは新しい意味合いはないように思います。「よどこん」としての個性を打ち出しながら…、表情豊かな合唱音楽のいろんな側面に触れながら、発展していくべきでしょう。心の中の音楽の世界のスペースが広がるような発展の仕方を心がけなければなりません。 演奏にあたっては私自身の資質を生かした「柔かい演奏」を大切にしながらも、合唱団としては合唱の骨格を強固にしていく必要があります。 また一方で、合唱へのアプローチについてもっと柔軟でグローバルな観点を持つ…(非常によくばり)という目標も必要になってくるのではないでしょうか。これは考えてみれば大変なことではあるのですが、むしろ、我々レベルの合唱団がそういった志を持つことによって、関西の合唱界にも影響を与えることになるのではないかと思います。関西の合唱界に新しい動きを…という気概をもって今後3年間の活動に取り組んでみませんか。
さて、来年の演奏会への具体的な構想は次号に譲ることとします。 客演指揮については現在、様々なことを考慮しながら広い視野から選び出し、交渉中です(東京で活動されている先生を含め)。
たくさんのことに触れると、目先のことが霞んでしまいますので、もう一度目先の具体的なことを確認しておきます。 小さなことから、「積極的」に取り組むよう心がけていきましょう。
◎合唱団は「音取りをする場所ではありません」 「どういう音楽を作っていくのか」を感じ合える場所にしていきましょう。
<練習に際して:出来ることから実践しよう!編>
1 練習は出来る限り出席して、欠席、遅刻については出来るだけ連絡を入れて下さい。 (休んだり、遅刻したりした分は指示等の確認を含め、基本的には自己努力をしましょう) (パートマネージャー、パートリーダはパート内の状況を管理してください。)
2 新しいメンバー、休部者等積極的にフォローしていきましょう。 (連絡等が密になるよう工夫をし合いましょう、仲間を増やす努力を一人一人がしましょう)
3 練習には筆記用具を持って、集中してのぞみましょう。(書き込み等をしっかりしてください)
4 違う音が聞こえてきたり、以前の注意点が守られていなかったら、気づいた人が注意し合いましょう。
5 自分の「響き」をつかんでコントロール出来るようになりましょう。
6 自分の出す音に関しては自分で厳しく責任を持ちましょう。(音程、歌詞)
7 パートの声、他パートの声を聞く「耳」を大切にしましょう。
まずはこの辺から確実に実践し、メリハリの効いた、その上で「大らかな」合唱団として合唱そのものを楽しんでいきたいと思っています。新たなスタートに備えてそれぞれ、「心の準備」をお願いしますね。
いとうけいし。
■淀川混声合唱団第11回定期演奏会
演奏会とても、すてきでした。
久しぶりにちゃんとしたコーラスを聞いたというかんじで。
自分が歌っていたときは落ち着いて聞くなんて事ができませんでしたが、
3ステを聞いたときなんだか、とても心地よくみんなが歌っているということ
より、違う世界にひきこまれて、リラクゼーションにきたみたいでした。
それって、すごい上手いということだと思うんです。
わたしは3ステが一番よかったと思います。
1、2ステは、モニターできいただけですが、そう思いました。
わたしは来年、主人が転勤で4月からアメリカです。
スタンフォードか、フィラデルフィアだと思いますが、
まだ、はっきりしてなくて、9月頃わかるよていです。
また、メールしますね。
ようこでした。
田島洋子
●~*ぬかやゆきひろの●~*
頭じゃなくてからだで歌う発声法
はじめに
最初に断ってくけども、これから書くのは本気半分、冗談半分、あんまり真面目に考えないように、読み物としてよみましょう。
これはマニュアルや教科書なんか求めてる人にはまったく相応しくありませんから。
さて本題、
「おまえの発声はまちがっている!!」
高校の時、声楽の先生から指摘されたその言葉はまるで死刑宣告に聞こえた。
昔はのびのび歌ってたのに、
発声のことを意識したとたんに体が固まって
思ったように声が出なくなってしまった。
よくあるでしょう、練習中にこんなふうに指示されたりするの、
「もっと力を抜け!」
「もっと後ろから息をまわして」
「おしりでひっぱってー」
「口をおおきくあけて!!」
ってねえ、あれこれ言われて、あっちこち気になって、どうすりゃいいんだと思えば余計に力が入って声すら出なくなって、挙句の果てにこの前練習したはずの音楽表現の部分までどっかに行ってしまって、つい不本意な音や声で歌ってしまった…
そしてまた「何度練習で同じ指示を言わせるんだ!?」っておこられたりして、
自分でもわかっているんだがなあって悲しくなってしまうことよくありそう。
「いったいどないしたらええねん?」と言いたくなることありませんか?
これまで自分でも悩んだりして、もちろんボイストレーニングの教科書を読み漁ったりしたんだけどあんまり参考にならなかったかもしれない。
いろんな練習法が書いてあるけど、どうも小難しくて続かないやつばっかり。
環境も抜群にそろえて、時間もかけて「そこまでやりゃあうまくなるだろう」と思うような内容ばかりな感じだ。
どうやれば楽しく、気持ちよく歌えるようになるか、
少なくとも、途中でつかれず、最後まで歌えるようになるかってことのヒントが書いてあったんだろうか疑問だ。
自分がそこまで読み取れなかったのかもしれないが…・
なんか「知らない間にできるようになる」って、どっかの通販の宣伝文句みたいなやつ無いかなあと思ったもんだ。そういえば、昔アメリカ映画で「カラテキッド」とかいうのがあったな。いじめられっ子が日本人から空手をならっていじめっ子に最後は空手の試合のなかで勝っちゃって、友情も得るとかいう筋がきだったと思うんだけど、その映画のエピソードに、少年は早く空手を教えてもらいたいのに、師匠はいつまでたっても教えてくれない。ずーっとペンキ塗りとかモップかけとかさせるばかり。ようやく試合の前日に師匠を稽古をつけてくれると、今までやってた大工仕事とかのおかげで空手の動きがほとんど身についていた。こんな風な、「いつのまにか身につく…」っちゅう感じの練習法はないもんかなあ。
これまでいい声になりたいと思うばかりそんなことばかり考えていたなあ。
だいたい、いつも歌ってもいい環境にいるわけがあるはずないので、何か日常の中で声を実際に出さなくても、意識さえすれば、発声がよくなるような動きとか無いもんかいなって感じ。
そんなことについて書いてる人は今のところ見たことがないので、それなら、迷いながらも自分で書いてしまえとおもって今書いてるわけです。
ただ、どんな立派な本を読んでも、また、どんなすばらしい指導者に恵まれていたとしても、個々の人間が自分自身で「感じてみる」ことがないと猫に小判。 時間の無駄。 頭でっかちになるばかり。
ゴルフとかテニスでもショットを打つ時のインパクトを実際体で感じてみないといいフォームは身につかない。
頭で理論はああなってこうなってなんて考えたって、そんなんじゃ、まるでムカデが歩くのに自分の足を一本一本。 しまいには嫌になってしまうだろうなあ。
まあ、私の書きたいのはショック療法みたいなもんで、まあ、治療法でいえば民間療法みたいなやつですよ。
小難しい話しは抜き。
理論的な話しはそれが得意な分野のひとたちや権威ある人らの書く研究書にまかせて・・・・
どちらかといえば、左脳よりも右脳をつかって歌うのもいいんじゃないのって感じかな。
なんか普段、日経新聞とか分厚い専門書とかみると脅迫されるような気分になるひとも、本屋の店頭においてあるビジネス書やノウハウ本なんかみれば、すぐ読めたりして読んだ後、困難なことさぞ簡単に乗り切れそうな痛快で意気揚揚とした気分になることあるでしょう。 そんな感じ、書いてみますので半分冗談と思って読み物として読みましょう。
さて今回は「あなたの発声法勘違い度チェック」
既にMLではご覧いただいてる人もおられますが、今後のネタのネタですから今回プラザでも掲載させてもらいます。
危険度のスコアリングですが、ジョークも混じっているのであまり本気にしないように。
解説は次回。
危険度レベル1
1 腹式呼吸はお腹に空気を入れることと思っている。
2 お腹を鍛えるために腹筋を欠かさない。
3 口から息を吸うべきか、鼻から吸うべきか迷う。
4 地声のいい人は歌ってもいい声である。
5 鏡の前で舌をだしながら、喉をあけて歌う練習をしたことがある。
6 発声法の教科書を乱読する。
7 高い声を出すのに腹をグッと押さえられたことがある。
8 「支え」とは腹に力を入れることと思っている。
9 高い音のフォルテもしくは中声域になると張り切ってしまう。
10 主旋律が回ってくれば歌い上げようとしてしまう。
11 歌を歌うには肺活量が多いほうがいい。
12 腹筋が強くないと高い音は出せない。
危険度レベル2
1 根性で歌う。
2 名歌手のレコードを聞きまくり、真似をしてみる。
3 声楽の講習会に行きまくる。
4 一番いい発声法はひとつしかないと思う。
5 歌ってる途中でしんどくなり他のメンバーにまかせて
得意なところが来るまで休んでいる。
6 歌いすぎると喉が痛くなる。
7 現在第一線級の現役有名歌手の門下生になる。
8 合唱団の練習はじめの発声練習を自分の試運転だと思っている。
9 歌を歌う時は力が入ってはいけないと習った。
10 歌う音の高さにより響かせるポイントを変えなければならない(例:胸から頭)
11 声楽の発声と合唱の発生は基本的に違うと思う。
12 ピアニシモが上手くないのは腹筋が弱いせいだ。
危険度レベル3
1 合唱の時自分の声が聞こえなくば不安になる。
2 声は大きく目立つほうがいい
3 うまい声はビブラートがかかる。
4 他の人と自分の声を比べてうまいと思っている。
5 自分のいい声を聞かそうとする。
さて、どうでしたか?
もちろん答えは全部×デス。
「えー、なんでー」 「私そう習ったもの!!」
って人いるでしょうね。まあメソッドはひとつだけじゃないわけです。
現象面や断片的なことに惑わされてはいけません。
本質を見ましょう????
正しいかもしれないし、そうでないかもしれない・・・ってとこでしょうか?!
判定
レベル1は一問1点
レベル2は2点
レベル3は3点
合計61点で計算してみましょう。
●5点以下のかた・・・・・・だいぶ問題意識のある人ですね。声について完成はありません。 引き続き磨いていく人でしょう。
●6点から15点・・・・・・・・まだまだ大丈夫。これからよくなる可能性がたくさんあります。 今までの方法を疑うことも必要です。
●20点から34点・・・・・・一度初心に戻りましょう。思い込みはいけません。 メッソッドはひとつに限りません。声について問題意識を持ちましょう。
●35点以上・・・・・・・・・頑固でありながら人の意見に振りまわされがちです。 初心者ならいざ知らず、歌うよりも性格を広げる努力をしましょう。
声はそれぞれ十人十色です。個性とも言えます。
みんなそれぞれいい声をもっているはずです。
いい声になることは自分のよさを発見することに繋がるのではないでしょうか。
声を磨くということは自分自身を磨くことにつながかもしれません。。
まあ、判定は遊びですからあまり、本気にし過ぎないように。
●編集後記●
へへん。予定通りの発行だぜ。
これが最後だったりして。
夏休みぼけして、完全に社会復帰できていないのに、もう運動会の季節になってしまいました。
今年はサンバの曲でポンポンを持って踊り狂わねばなりません。うう。
ではまた11月号で。
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