Date: Tue, 25 Jun 1996 22:24:09 -0700
>よどこんの皆さんへ
From: Takashi Izuhara <izuhara@mars.dtinet.or.jp>
To: MXB00064@niftyserve.or.jp
私達は1988年〜1989年の1年間、よどこんで歌っていた夫婦で、伊豆原と申します。インターネットでよどこんのホームページを見つけ、懐かしくなってご連絡させて頂きました。
在団は僅か1年間でしたが、大阪府合唱祭・関西合唱コンクール・はもーるKOBEとのジョイントに乗せていただきました。1989年の4月に転勤になり、89年4月2日のはもーるとのジョイントを最後に退団しましたが、その2日前に生まれた長女(幸子)も今ではもう7才になり、近くのジュニアコーラスで歌っております。私はその後しばらく合唱から遠ざかっておりましたが、今年2月に、現在住んでいる神奈川県藤沢市の「藤沢男声合唱団」(故福永陽一郎創立)に入団し、再び合唱の世界に足を踏みいれることになりました。
当時の団で私が覚えているのは、指揮者の田中さん、SOPの冨士原さん、TENの森さん夫妻、マネージャーの林さん、それに高橋さんといったところでしょうか。(思い出せない皆さん、ごめんなさい<m(_ _)m>)年月とともに団員の顔ぶれも相当変わってきていると思いますが、皆さんお元気でしょうか。
よどこんも創立10年を過ぎたとのこと。ホームページを見ていても元気一杯のようで、OBのはしくれとしてはうれしい限りです。ますますのご発展を祈念しております。
1996年6月25日
伊豆原 孝・かおり
izuhara@mars.dtinet.or.jp / BYR04773@niftyserve.or.jp
幼い頃、夕暮れによく兄と行水をした。たらいに水をはり、縁側で母が西瓜を切っていた。
風鈴の音が二つに割った真っ赤な西瓜の上に降り注ぐと、時が止まったような不思議な感覚に身を包まれた。「この場面はいつか見た…」いや「この場面をいつか思い出す…」そんな気持ちがあいまいな幸福の中で感じられた。裏庭でよく花火をした。線香花火をバケツの水の中に放り込み、「じゅっ…」という音に耳を傾けると、夏の匂いと裸足の足に冷え切っていない土の感触がいつまでも残るのだ…。時々私はこの一瞬が永遠につづいてくれることを願っていた。「何もかもが変わらないでほしい…」「明日にならないでほしい…」…新しい事態が時間を壊すことを恐れ、この曖昧な温もりの中から抜け出たくないという感情が支配的だったのだろうか…。
「小さな空」を見上げる武満の視線は、回想の甘美な感傷の中にある。しかし、その平易な言葉とメロディーの奥に武満自身の永遠の少年の心を感じた時、そして、かすかに見上げていると思われる「視線」そのものにふと同化してしまった時、懐かしさを超えた「生命そのものの持つ痛み」への病のようなノスタルジアを共有してしまうことになるのだ。
武満徹の音楽を「夢」と「数」あるいは、「水」「木」「鏡」というようなキーワードで解明していくことが出来ると思う。あるいは、卓越した技法と、哲学的なメタファーの組み合わせによって、メシアンやドビュッシーと比較することも出来よう。もちろん私にとって興味深いのは、タルコフスキーや、谷川俊太郎、大江健三郎、デュシャンやバルト、サティまで総動員して語り合う事であったかもしれない。
しかしながら、この混声合唱のための「うた」を聴きながら、あるいはその練習をしながら、もっともっと痛切に感じ、気になってしかたがなかったのは、音楽の中で感じる武満徹自身の「視線」の角度である。
心は、いつも視線とともにある。
人は、どんな時に見上げ、どんな時に俯くのだろうか。どんな時に視線を躱し、どんな時に視線を漂わせ、どんな時に見つめるのか。あるいは、どんな時に目を開き、瞳を凝らし、そして閉じるのだろうか。
武満徹の音楽の世界の中で、歌う言葉の中で、メロディーの起伏の中で、イメージ出来る視線は必ず微妙な表情と色合いを生み出している。
幼児が母親を見上げ、少年が木を見上げるように、武満は、ふと空を見上げ、雲を見詰める。夕映えの教会を見上げ、夜空の星を見上げる。あるいはその眼前に広がっている風景を飛び越えて、記憶や夢の彼方にまでその視線は伸びていっているかのようだ。
風、雲、光、翼、水平線・・・遥か彼方に視線を投げかけた時、虹のように架け渡される時間の円弧の中で、今生きていることの、喜びとか、悲しみとか、切なさとか、微笑ましさとかが、愛すべき小さな痛みのように胸に突き刺さる。人生の中で誰しもが持ちうるそのような瞬間・・・大袈裟でないまでも、生きていることをもっともよく実感できるような言葉にしにくい情動…そんな瞬間を捕らえているのがこの曲集だ。そして、そんな時に武満の視線の角度を確実に感じ取ることが出来るのだ。
「歌うと、歌うと、歌うと・・・」
…歌を歌っているうちに視線の位置が変わっていく事を感じないだろうか?「悲しみ」は「風船のように」緩やかに膨らんでいくが、俯きさまよっていた視線はそれに伴って僅かに上向きになっていかないだろうか。
「明日は晴れかな、曇りかな…」と歌う少年の視線はどこに向けられているだろうか…。そしてまた、生き残った人たちが「輝く今日と、またくる明日」と口にした時、彼ら(私たち)の力なく、それでも本能的に明日を見ようとする、生々しい視線を感じはしないか。
武満の音楽には必ず視線の動きが伴う…。
音楽は視線をさまよわせ、漂わせ、時に静かに閉じ、やがて緩やかにはるかな時空へと投げかけてしまうのだ。
「見知らぬ人よ……」という言葉。・・・まだ見ぬ恋人とも、明日の自分自身ともとれる遥かな対象に対して、「あなたはどこにいるのですか…」と呼びかけたとき、視線は言葉や音楽と同化して永遠の時空に向けて伸びていく・・・。夢とも希望とも切ない願いとも、痛みを覚悟した挑戦ともとれるその問いかけは、そう歌うまでもなく我々の胸に「信じる…」「求める…」という言葉を覚醒させてくれているのではないか…。
武満徹はため息をつくように視線を漂わせ、呼吸をするように視線をのばしていく。そして、その視線は、それに対して「そうだよ…」とだけいってくれる他者に対して伸びていっているようだ。
手を伸ばすと手と触れ合うように、視線を投げかけると誰かの視線と交じり合う。そしてまた「うた」は、視線がそうであるように他者の心に向かって歌われる。
人は何かを感じ、求め、何かを与えようとする存在なのだ…。心と心との繋がりとは、そういった事の時空を超えたやりとりなのだ…。そして、「音楽」というものがその媒介をエレガントに果たしうる…。
武満の音楽はそう直感させてくれるのだ。
…振り仰いだ視線は遥かな時間を超えて、突如として私自身にも懐かしい風景を導き出してくれた。
光に満ちた川瀬、駆けていく白い小犬。テーブルに眠る銀色のスプーン。
「あんな事を考えていた」という気持ち…、「今でも変わってない…」と思う気持ち…。
記憶と予感との怪しげな戯れの中に身を滑らせてしまった時、突如として純粋な感情が突き上げてくることはないか。「希望」や「夢」や「悔しさ」や「恋しさ」や「もどかしさ」が固まりのまま溢れ出してくる事はないか。涙すら溢れてきそうになる瞬間をもった事はないだろうか…。
「うた」とは、そんな時に心の奥から弾き出され、零れだしてくる感情の洪水なのかもしれない。
夏がやってきました! 唐突ですが、みなさんは去年の8月6日をどう過ごされましたか?私は、オーストラリアのキャンベラの戦争記念館のホールで、大学の合唱団の人たちに混じってフォーレのレクイエムを歌っていました。その会場はホールとはいってもコンサートホールではなく大型兵器の展示室で、何台もの戦闘機が置かれ、ホールの壁には大空を舞うおびただしい数の戦闘機が描かれています。私は‘Sanctus’などを歌うときにはいつも空いっぱいに天使がうかんでいるさまを思いうかべて歌うのですが、このときは空いちめんに降ってくる戦闘機を思い、歌いながら涙が出てきました。
コンサートの後は、Hiroshima day の記念行事に参加。この行事は日本に留学したことのあるオーストラリア人大学生が中心になって企画したものでした。プログラムは、被爆者の詩(英訳)の朗読、キャンベラ在住で広島の原爆を体験した日本人女性の話、黙とう、そして最後に地元の小学生が自分たちで作った灯篭を湖に流す、といったものでした。
驚いたのは、Hiroshima day に対するオーストラリア人の意識が高いこと。キャンベラに限らず全国各地で記念行事をやっていました(もっとも去年はフランスの核実験への反対運動とちょうど時期が重なったせいもあるでしょうが)。
一方、我ら日本人留学生はというと、交換留学生の中に広島出身の子が二人いて、「スピーチを」という声がかかったのに辞退したとのこと。それだけならいいのですが、当日集まった日本人留学生の中には、被爆者が体験談を話しているときに彼女の英語をあげつらってふざけている奴らがいました。その後の灯篭流しでは、神聖なはずの場面でぎゃーぎゃー騒ぐという有様。今思い出しても恥ずかしさと怒りがこみあげ、そして考えこんでしまいます。「あの人たちは、第二次世界大戦中日本とオーストラリアが交戦国だったことを知ってるんだろうか。ダーウインを爆撃して壊滅状態にしたこと、シドニーを攻撃したこと、マレー半島で多くのオーストラリア兵士が日本軍に餓死させられたことを、知ってるんだろうか。」と。
ダーウインで知り会った退役軍人のおじいさんも、自分の町から出征した兵士の多くが日本軍に惨殺されたらしいと話してくれたタスマニアのユースホステルのおじさんも、とってもあたたかく日本人である私に接してくれました。「戦争を知らないんだから当たり前。」と開き直る気には到底なれません。日本人がオーストラリア人に何をしたのか知った上で、オーストラリアとつきあっていきたいと思っています。
普段は日常の雑事に埋没してしまって、こういうことは後回しにしがちな私ですが、夏は戦争に関する記念日が多い時期でもあるので、せっかくだから平和について考えたいなあと思う今日この頃です。
あなたにとって文化活動とは何か。大層な書きだしで始めてはみたが、ふと、手を止めて考えてほしい。高校の「文化祭」以来、文化と名のつくものには頓と縁がない……等とおっしゃる勿れ。演奏会なんて……立派な文化活動なんだから。
ひとはそれぞれ人生に目標があり、生き甲斐というものをお持ちであろう。そうは言いながら現実には思うようにならず既に諦めている御尽も居るかも知れないし、とくには目立たず人並みの幸福を願うのも…それはそれで結構なハナシだ。合唱にしたって、ウィークデーの憂さ晴らしと考えるも良し、純粋に音学の完成度を追及する創作活動の一環と捉えるのも、すべて本人の自由である。利害関係の無い人々とのワイガヤが楽しいから、というのも正当な理由のひとつになろう。
ただし、演奏会を開催する……というところでよくよく考えてみて欲しい。いったい誰が為の演奏会なのか。カラオケルームの大広間で大合唱するのとどう違うのか。
奏者と聴衆の関係は、発信者がいて受信者が対峙するという……コミュニケーション(伝達)の図式を容易に連想させる。ライブ演奏の醍醐味は、ある瞬間この関係性が逆転する双方向性にあるといえるが、概ねは舞台の上で並んで歌うほうが発信者といえる。このとき受け手に対して何を伝えたいのか。何を伝えようとしているのか。これまでのところ、この見解は非常に曖昧なまま、やり過ごされてきたように思う。
僕の場合、自らが秀でた歌い手ではなかった所為もあって、やはり「興行」という視点で演奏会を捉えてきた。ただしそれは他の考え方を一切否定するような排他的なものではなくて、音楽の質の向上ともワイガヤの充実度とも……すべてと同居する姿勢で臨んできた。そうして観客に「与える感動の大きさ」……もし高慢に過ぎるというなら「観客が感じて帰る気分」とでも言おうか……それを最優先して考えた結果が、ここ数年の演出の目標であったことはご理解いただけるものと思う。
残念なことに人生の第一の正念場にさしかかり、週末の唯一の愉しみであった合唱をしばらくの間、自戒せざるを得ないハメとなり、後ろ髪を引かれる思いで休団を決意したワケだが、さすがにPLAZAの編集からは逃れられそうもなく、それでちょうど客観的な立場から懸念の思いを再度、提起してみた次第である。
20日の演奏会……初めて客席から聴けるこの興奮を、奏者のみなさまに是非お伝えしたい。
5月26日、朝から底抜けのする好天に恵まれて大中寅二氏の生誕100年を祝う記念碑は、渥美半島の突端、伊良湖岬の切り立った崖の上に姿を現した。海を背にして立つこの歌碑は、昭和36年に地元の有志が建立した島崎藤村の詩碑とちょうど向かいあわせの位置に立っている。黒光りする大理石の碑面には自筆譜とサインが真白に力強く彫り込まれている。
※本コーナーはONLINE版ではお楽しみいただけません。
●Essay●
演奏会あれこれ
(編T)
●Report●
「椰子の実」記念碑、
(編T)
ついに完成
「当時は書き立てる芸能週刊誌も無かったわ」……親子ほども歳の離れた二人の仲を振り返りながら、笑みする香代夫人は今なお御健在である。そして、初めて当地を訪れた時のことを、こう語ってくれた。
「もうかれこれ20年ほど前になるかしら。私の思い出を創りたいから、と腰の重い主人を誘って……主人はほとんど仕事でしか旅行にでかけることはありませんでしたから……伊良湖にまいりましたの。ちょうどこの場所から、雄大な太平洋の美しさと、恋路が浜・片浜十三里の素晴しい風景を眺めたのが、つい昨日のことのようですわ。」
遠い南の島から流れついた椰子の実は、今も人々の心のなかで優雅な旅を続けているようだ。
●WITTY BREAK●遠藤久顕の位相幾何学概論
最近ようやく留守電を導入したら早速アホな友達が「ももじろう」とかいう似非昔話を長々と吹き込んでくれました。このコードレスの時代におめでたい奴です。第17回は「細菌分裂パズル」です。
●遠藤久顕の演奏会情報●
【喪黒福造の巻】「『ココロのスキマお埋めします』……?誰ですか、あなた。」「ホーッホッホッホッ、あなたを楽しい演奏会にお連れしようと思いまして。」「私は合唱なんて興味ありま…」「ドーーーン!!!」「うわぁああああああああ……」
July●7月
日程・曜日 団体名 会場
7・日 龍谷大学混声合唱団ラポール 長岡京記念文化
ウィーンフォルクスオーパー合唱団 ザ・シンフォニ
大阪混声合唱団 いずみホール
10・水 阪大男声+松山大グリー ザ・シンフォニーホール
13・土 ヴァチカン・システィナ礼拝堂合唱団 ザ・シンフォニーホール
14・日 千里エコー いずみホール
16・火 豊中混声合唱団 ザ・シンフォニーホール
20・土 淀川混声合唱団 森ノ宮ピロティ
27・土 宝塚国際室内合唱コンクール
……なにわコラリアーズが出場します 宝塚ベガ・ホール
金沢大合唱団+阪大混声 尼崎アルカイックホール
ブルガリア国立ソフィア少年少女合唱団 京都コンサートホール
28・日 大阪H・シュッツ合唱団
武満徹「うた」アルティー
August●8月
日程・曜日 団体名 会場
1・木 オランダ国立バーヴォ少年合唱団 ザ・シンフォニーホール
3・土 松下中央合唱団 ザ・シンフォニーホール
30・金 ツェムリンスキー歌劇「フィレンツェの悲劇」 フェスティバルH
31・土 東京混声合唱団 いずみホール
96.8.30 September●9月
日程・曜日 団体名 会場
21・土 コードリベット・コール
バッハ「ミサ・ロ短調」ザ・シンフォニーホール
●木寺洋介のHow do you do?●
このあいだ初めて「よどこんホームページ」を開けてみました。PLAZAもオンライン化されています。勿論このコーナーはメンバーのプライバシー保護のために非公開ですが、実は削除されているのはデータだけで、私のアホ文章は世界中に発信されていました。とても恥しいことです。